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2015年11月16日 (月)

「死なれる」「殺される」

20年前、カミサンと二人で訪れたパリ。

その頃から自動小銃をもった警官をみかけたり、

危ない経験をしたりしましたが、

今回の様なテロ攻撃の舞台になるなんて想像できない

興味津々宝の蔵みたいな街でした。

 

その街を襲ったテロで、130人を越える死者と、その数倍が負傷という犠牲者がでました。!

ダンボのアンテナが反応したのは

11月7日・朝日新聞のコラム『折々のことば』でした。

『「死んだ」者よりは「死なれた」者の方が、やはり、叶わないのである。つらいのである  秦恒平』 

この言葉を採りあげた哲学者 鷲田清一氏は、ざっと次のように補足説明されていました。

『「死ぬ」という自動詞に日本語では「死なれる」という受動態があり、死なれる人に思いを重ねている。人は死を恐れているが、その死は想像だけで体験できない。死の経験の原型は、大切な他者を失うというところにある』 

心の準備も覚悟もなく、テロで非業の死を遂げられた人々に

思いを重ねる人は縁者だけでなく、世界中に広がっています。

まして「死なれた」が「殺された」という受動態ですから

「憎しみ」「報復」と悪循環が起こりそうで、それが一番怖ろしいです。

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コメント

早速、フランスなどの大国が空爆を仕掛けています。いつのころからか、日本人は空襲と言わず空爆といいますが前者はやられる側の表現、後者はやる側の表現のような気がします。それはさておきナビラ・レフマンというパキスタンの少女がアメリカの無人機に祖母を殺され、自らも怪我をした(それも畑に肉片が飛散する状態で)体験を話しに来日しています。今日の朝日新聞ひと欄にも紹介。ダンボさんの空襲体験を読むにつけ、パリのテロは決して許せませんがテロの温床だというだけで空爆し、罪もない女性や子どもたちを殺戮する大国のエゴを、なぜもっと私たちは知ろうとしないのかと思ってしまいます。タリバンに襲撃されたマララさんはノーベル賞。ほとんどアメリカでは黙殺・無視されたナビラさんは奇しくも同じ言葉、テロは力ではなく教育でなくすしかないと訴えておられます。

ピピちゃんのお父さん
私も、テロを防ぐのは力でなくて理解する心だと思います。そして、格差や差別をなくす努力でしか押さえられないと思います。
相手が狂信者であっても、理解するメッセージを送り続けること・・・理想論でしょうが・・・

アメリカは空爆しても地上軍を投入してもベトナムを支配できず、負け戦を味わっているのに学習が足りません。(ベトナム戦争はテロではなく、北ベトナム自衛戦と考えますが、圧倒的に有利な相手と戦う点で.・・・)
ヨーロッパの大国もアメリカの轍を踏まないような良識が欲しいものです。

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