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2014年5月29日 (木)

輸出品

26日の記事から

ダンボの追想は半世紀以上飛びました。

001

敗戦(終戦)後、

学校に戻らず

実家で居候も落ちつかず

ダンボは一時期フリーターしてました。

フリーターといえば耳触りはいいのですが、要するに

日雇い労務者、1日240円で働く「ニコヨン」です。


進駐軍の(敗戦を終戦と言い変えた類で、占領軍を進駐軍と言いました)仕事がありました。

連れて行かれたのは大津市、元海軍航空隊跡地でした。

広大な敷地に占領軍専用の「水耕農場」が作られていたのです。

「下肥使った不潔な日本の野菜は、食べられるかい!」

と、建設された土なし農場でした。

工事が始まって日が浅く

コンクリート打ちされた、長~い溝を掃いて日当を稼ぎました。

監督の目を盗み、寝そべって溝から空を見上げました。

その空の青さがよみがえりました。

今や、植物工場や魚の陸上養殖システムが輸出されるようになったのですね。

自然食品に回帰する動きもあり、世の中の二極化が進みます。

ダンボは、どちらかといえば自然がよろしいようで・・・・

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コメント

ダンボさん、そんな時があったのですかー!

あらためてビックリです。「水耕農場」なんてそんな時代から向こうではあったのですね。
いま、夏の果樹園には多く取り入れられてますが・・ 発展途上国が日本の自然農法に興味を
示して指導を求めているのは、やはり大地の力を失わせずに収穫する知恵が高い評価を受けてる
とか、アハ(受け売りですが・・・)溝から見上げた空!! 自然はいいですね、それに人間も
自然がいち番です(笑)

風さん、
大正後期・昭和一桁生まれの人間は、想像もつかない体験をしている人が多いのです。
私も、敗戦で価値観が180度ひっくり返った時、糸の切れた凧状態でした。
今では、人生のブランクに価値があると思っています。

占領米軍は、日本に二ヶ所(調布市と大津市)水耕農場を作らせたようです。
戦争中も、土壌の痩せた南方の島で建設していたとも書いてありました。
食うや食わずで一億玉砕を叫んでいた日本とは大違いでした。

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