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2013年2月 5日 (火)

オキナワ

三女から「沖縄行こ、宮古のホテルの宿泊券があるし・・・」と誘われた。

ダンボまだ沖縄を知らない。

テルテルの預け先が見付かれば、3・4日離れて暮らすのもマッええか!

乗り気になった。

「那覇から宮古に行くまで父ちゃんどっか見たいとこある?乗り継ぎで時間あるし・・・」

三女は経験者。

「そ~やな~ 戦中人間やし観光地はあんまり見んでもエエ。戦跡とか普天間基地なんか見てみたいけど・・・」

と返事しながら、ダンボ背筋が冷たくなった。

普天間基地と那覇との位置関係は?

知らない! ダンボは何にも知らない!

沖縄を知らない。

第二次大戦末期、米軍の攻撃で焦土にされ、戦後は冷戦の前線基地として、長く日本であって日本でなかった沖縄。

ダンボも多くの「ヤマトンチュ」と同じで、「ウチナンチュ」の気持ちや暮らしに鈍感だ。

無知を裏打ちしたのが、日経夕刊のコラム

004


「宜野湾市(ギノワンシ)に住んでみる」

ルポルタージュで、記者が住みついて取材する。

沖縄でアメリカ人とアジア人の間に生まれた子を「アメラジアン」と呼び、今もなお、

年間約300人のアメラジアンが生まれているという。

宮古の海は、信じられないほど美しいという。

宮古の時間はゆったり流れ、心身ともにゆる~くなれるという。(三女の話)

戦中戦後、沖縄に大きな犠牲を払わせておきながら共有できないダンボ、

沖縄で「ゆる~く」なれるだろうか?

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コメント

オキナワのとある無人島には行ったことありますが、那覇と普天間の位置、さっぱりわかりません。
(ま、ぽこの場合は、京都市内でも位置関係よぉわかってない地理オンチ地図オンチですが
父の長兄がオキナワで最期を迎えたらしく、数年前、父の兄弟たちが夫婦六組で念願の「オキナワ行き」を実行しました。
そのオキナワ行きの後、伯母が亡くなり伯父が亡くなり、叔父は体調崩してるし、伯母は痴呆があらわれ始めてるし・・・みんな揃って行けてよかった、あのタイミングで行っておいてよかったって、しみじみ言ってました。

宮古はもう冬は終わりましたよ。
日中は汗ばむ様になりましたよ。
海はきれいですよ。

昔、パスポート持ってる同級生がいましたが
戦争を知らない世代で、無知のまま宮古に来て
そのままボーッと生活しています。

宮古は一周しても1時間半。
小さい島なので、案内できますよ。

ぽこさん
中国がやけに突っ張ってるし、近い沖縄に影響ないか?TVドラマで宮古島が舞台になったのもあったし、色んな意味で知りたい沖縄です。
テルテルは留守番が上手ですから、あまり気を揉まず行ってきます。

ちがやさん
宮古の方だったのですか!三女から耳にしていますが、価値観を変えてしまいそうな魅力的な島だそうですね。住みついてしまう同級生の例で分かりました。絶対に4月は宮古の土を踏み美しい海を眺めます。
賑やかな三人娘と一緒ですが、お会いできたら嬉しいです。

メールアドレスを添付しました。
3月始めから4月始めまで介護帰省を予定してますが
日程があったら案内できます

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