« スロースターター | トップページ | ロッキー君 »

2013年1月28日 (月)

bonのメール

「bon」君は、コメントは入れないが、時折長~い文章と自作の版画を添付したメールを呉れる。

先日も、原稿用紙にしたら6枚を越えるメールと、ダンボが喪中で受取れなかった年賀状の原図を送ってくれた。

このまま、PCのメモリーに眠っているのは勿体ないので、本人に断り転載することにした。

メールの前半は、彼が大島渚監督と同じ洛陽工高に在籍し、当時からオンボロだったこと。製図室で戦時中の生徒日誌を発見して読みふけったことなどが書かれていた。

その、後半をコピー&ペーストする

今を遡る30年ほど前に木之本を超えて伊賀群余呉町のまだ奥の方、滋賀と福井の境辺りか、それが高時川の源流であったのか針川の支流であったのか、すでに幻のようになってしまっているのですが。一人渓流を釣行していたときです。遡行する川から岸へ上がると、そこは廃村でした。豪雪地帯のその辺りは1960年代につぎつぎと集落が無くなっていたようです。当初は集落の為と林道が広められ険しい峠をトラックが喘ぎながらでも走れるようになると、その道はその集落を廃村に追い込んでいたのですね。雑木が伐採され運び出されて炭焼きからの糧は無くなり、一日がかりで超えていた峠が数時間で超えられたりとかね。其処え以ってテレビの電波などが迷い込んだときにゃあもう村は保ちませんよね。皆んな峠の外の世界へ出てしまったのでしょうか。 そんなことはどうでもええシネマの話どすけど。

その廃村は大島渚監督の「愛の亡霊」が作られた場所だったことを後に知ることになります。吉行和子、藤竜也、田村高廣等のハードコアエロティックな幽玄な作品でしたが吉行和子の体当たり演技もあってカンヌ映画祭の監督賞を獲っていたものです。1978年の公開ですから既に10年ほど経っていた廃村を使ってロケーションしていたことになります。その5年ほど後に私がその場所に立っていたということになりますが、藁葺の屋根は朽ちて苔と草が生えていました。土蔵のような建屋も在りましてね、そろりそろりと覗いてみていましたが、古くなったアルミのヤカンが転がっていました。つい先ごろまで人が住んでいたような雰囲気があったのですが、ひょっとしてそれは撮影スタッフが寝泊まりしていた場所だったのかも。いや吉行和子演じる好色なる姦通若嫁が田村高廣の亡霊に怯えていた雰囲気にも似ていました。

人影も無いそこを流れる渓流は魚影が濃く尺物近いヤマメが竿をしならせていました。秋だったようで人手の入らない野生化した大きな柿の木の実の朱色が鮮明に蘇ります。

ぼくが大ファンの男優ジャン・ギャバンの風貌と雰囲気にどこか似ているテルテル。テルテルよ先生のことたのむよ。

添付は今年の賀状用銅版画です。   ではまた  bon

Photo

最後の

テルテルが「ジャン・ギャバン」に似ていると褒められた?のは年頃の娘の親として、チョイ複雑な喜びだった。

« スロースターター | トップページ | ロッキー君 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« スロースターター | トップページ | ロッキー君 »

2020年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ