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2012年3月10日 (土)

消しゴムがあれば

一度に1日で万を超える人命が奪われた最悪とも思われる大災害から1年。

3月は厄月なんだろうか?

1945年の3月9日。1夜で東京都民は10万人近い命を奪われた。

アメリカの皆殺しを狙った空爆によって・・・・

原爆の実験になった広島・長崎

大都市を襲った阪神淡路大震災。

そこもここも、その傷跡に気がつかないほどに見た目は元より立派。

語り継がれるモニュメントや記録があっても風化は進んでいる。

しかし、東日本大震災は、生々し過ぎて苦しくなる。

TVインタービューで、吹き出す涙を抑え「ごめん」と背を向ける男性。

涙が涸れるまで何年必要だろう?

ダンボは、突然カミサンを思い出し胸のつまることはあっても涙はもうこぼれない。

諦めつくほど、あの世へ送るまでの時間があったから・・・・・

突然死だったらきっと男性と同じだろう。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

悲しみや涙を消すケシゴムがあったら

プレゼントしたい。

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コメント

先日、ニュースでのインタビューでの事だっただろうか、
「泣いてはいられないから、笑うのさ」って。
東日本大震災の被害者の言葉。
すごく胸に響いて思わず書きとめました。
確かいまだ行方不明の娘さんのお父さんでした。
震災前の街の様子の写真も新聞に載ったりしますが、
そこの人たちはもうあの時に戻れないんだから、
見るのは辛いのではないかと思うのですが。
現実を受け止めて前に進むしかないのでは・・・。
でも実際こんな目に遭った者でないと、その気持ちはわからないのでしょうね。
しかし、ほんっとにこの話題を目にするたびに胸が締め付けられ、涙・・・。
災害のない街に居られて感謝です。

もう1年経つのですね。昨年の3月11日は、ちょうど友達と左京区の絵本美術館にいました。絵の世界にどっぽりと浸かっていました。だから地震が起こったことは全然知らず、東京の娘から「こちらは大丈夫だから安心して」とメールが入った時、何のことか分からず・・・?夜に用事があった出先で、号外を見せられ、やっと初めて知った呑気ものです。でも、茨城の友達は、車の中で一晩過ごしました。我が家の隣の福島出身(地震当日の同窓会後、福島を発ってしばらくして地震にあう)のおばあさんは、福島から帰る時途中で1泊し電車をいくつも乗り継いで翌日やっと京都に帰って来ました。風評被害で実家の農業を案じていました。私は知事お墨付きの福島の桃をおばあさんからいただき食べました。5月に娘の義父の49日法要に東京へ行った滞在中に、大きな余震がたびたびありました。法要で読経時には、本堂の大きな重い飾りが大きく揺れ続けたのにみんなはびくとも動かない!私は逃げたかったのにびっくりしました。また、近所に住むスイス人女性が「お母さんが、私に国に帰ってきなさい。」とパニックになっていると漏らしていました。乳飲み子を抱える東京の娘は「お母さんみたいなおばさんが、紙オムツを買い占めるので困る」と嘆いていました。また、外国の友達二人から、「大丈夫?」と即メールがきました。しかも被災地の地震前と地震後の比較写真を何枚か添付して。「日本人のあなたたち知っているの?」という感じなんでしょうか。日本に住むある外人さんは、放射能測定器を買い必ず食物を買う時に計っていると言っていました。地震津波だけでも一瞬にして多大な被害が出ているのに、今回は原発問題があり、まだまだ先が見えませんね。亡くなられた方、知り合いを失くされた方、なお行方不明の方、現在も不自由な生活を送っておられる方、未来もまだどうなるか分からない不安をいっぱい抱えている方・・・。新聞で、最近も現地へのボランティアを募る記事を目にしました。でも、募金だけですませて、行動できていない自分がいます。若いのに?自分に自信がないんですね。3月11日は、京都マラソンがあります。頑張って走る人を見て、元気いっぱいもらいたいですね。走る人たちは、被災地の人々に元気いっぱいを送ろうとしているのでしょう。

昨年 ダンボ爺の所へおばはん6人でお邪魔したとき、
みんな、軽いPTSDやって、云ってましたが、
きのうから震災のテレビを見て同じ感覚が蘇えりました。
NHKの地震速報の音を聞くと恐怖を感じます
以前は、気の毒にとか可哀そうとかで、涙していました。
今は、進まない復興や融通のきかない組織や
アホばっかりの身勝手な政治家に、あきれて、苛立ち、悔しい。
何をしたらいいのか良いのか、わからない自分がはがゆい。

Keiさん
「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と天声人語にあったそうです。忘れない限り被災者の皆さんを支援していることになると楽にして、東北の物品を買うとかNPOを支援するとか考えましょう。

華ちゃんのお母さん
私も生まれて初めての演歌(坂本冬実)のコンサートで京都会館に居ました。長女が受けた孫からのメールで横浜の異変を知り、帰りの車の中で携帯のワンセグで惨状を見ました。あの時の説明つかない苛立ちや恐怖をありありと覚えています。
室戸台風・鴨川の橋が殆ど流された洪水・阪神淡路大震災等と共に死ぬまで消えない記憶になりました。後は、どのように何が何時まで出来るか!それぞれの課題だと思います。

youkoさん。人間は生きる本能としてどんなに深い心の傷も癒して薄める働きがあると思います。でも、こうしてやまびこのように返ってくる。被災者の人達のために聞き耳を立てるのが私たちにできることと割り切って考えましょう。
ダンボが車に乗らなかったのは長女に止められただけではないのです、助手席に誰もいない喪失感を乗り越えるのに時間がかかったのです。
人だけでなく思い出すモノまで奪われた被災者の悲しみの深さが偲ばれます。

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