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2011年3月18日 (金)

気休めにもならないでしょうが

被災地の皆さん。頑張ってください!

気休めにもならないでしょうが、戦中派の老人話を聞いてください。

1945年。敗戦国日本は無の状態といっても過言ではありませんでした。

京都・奈良を除く日本の主要都市は、一面焼け野原でした。

私が除隊して山口県・柳井から京都まで無蓋貨車で運ばれる途中、大阪駅で見た光景は一生忘れません。

梅田の駅から、大阪湾が見えたのです。 きれいサッパリ空襲で焼きつくされていました。

戦後も地獄でした。

都会は飢えに苦しみました。

配給の食料では命はもちません。

配給といえば米や小麦粉などは月に何回か忘れるほどしかなく、得体の知れない粉(フスマ?)や甘ったるい乾燥バナナの時もありました。

天井のうつる薄いお粥に芋の葉がタップリ入っていました。

あまりのひもじさに庭のカタツムリを口に入れたこともありました。

お袋の着物や帯で手に入れた(農家で物々交換)米や芋や南瓜が命をつないでくれました。

栄養失調でお腹のプックリ膨れた人を何人も見ました。

多くの餓死者がでた筈です。

停電は常時でした。今のような家電製品がなかったので不自由したのは灯りですが、戦時中の暗さに慣れていたので特に困った記憶はありません。

自動車は一般庶民のものではありませんからガソリン不足は関係なく、バスは木炭で走っていました。

一部特権階級は知りませんが、民は一様に飢えて貧しかったので、ゆとりある人からの援助の手は差し伸べられません。

アメリカから施しに似た物資が配られても海外からの人道的援助なんてありません。(どの国も疲弊していた)

その廃墟から、日本人は今を築き上げたのです。

被災地の皆さん我々は不死鳥であると信じましょう。

がんばってください!

テルテルも気にしています。応援しています。

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