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2011年3月

2011年3月31日 (木)

還付金

ダンボの価値観?が大きく変わった事件がある。

1995年、1/17 阪神淡路大震災。

「ボランティア」が市民権を得た。

もの好きや偽善者と斜にみる人間が消え、誰もが自分のできることで参加する日本になったと思う。

2001年、9/11 アメリカ同時多発テロ。

安心安全の世界は何処にもないのを思い知らされた。

そして、2011年、 3/11 東日本大震災。

「善意は大っぴらに現わせ!」と考えが変わった。

ダンボの善行などたかが知れているのに、「そっと秘かに」する変な美意識をもっていた。

大災害の直後から、有名人が続々と高額の義捐金公表している。(自分がしなくてもネットに一覧表がでている)

一般人でも、新聞社を通した義捐金は表になって掲載される。

外国からの援助も並みじゃない。

今までなら、何か魂胆がある? 売名? と素直でなかったのに、今は只々感動する。

誰もが抱える何とかしたいという気持ちの後押しをしてくれる。

先日出した確定申告に「国税還付金振込通知書」が返ってきた。

24,700円

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去年までは数千円の追徴金を払っていたのに・・・・

医療費控除のお陰だ、カミサンの命と引換か!

そこで、カミサンの名前で2万円を義捐金にさせてもらう。

端数はダンボが手数料に貰う。

カミサンにセコイと言われそうなので、

仏壇で、4月の年金が入ったら、カミサンからあてがわれていた1ヶ月分の小遣2万5千円を寄付すると誓いなだめておいた。

2011年3月30日 (水)

肩の荷おろす

カミサンは長い教師生活で卒業学年を1回しか担任していない。

結婚ホヤホヤだったが、初めて卒業させる喜びで頑張ったらしい。

それが伝わっているのか、今日は11人の教え子の皆さんがお参りしたいと来てくれた。

当然、ダンボ一人では接待できない。「ホステス長女」を頼んだ。

1953年に小学校を卒業し古希を迎えた方々だが、今でもクラス会にざっと40人集まる珍しい組だ。(京都新聞旧友歓談に掲載)

クラス会の他に卒業後の修学旅行が毎年のように催されるようで、カミサンも再々参加していた。

カミサンは愛するダンボぬきでは旅をしない絶滅危惧種だったけど、病気で断念するまで一人でホイホイ出かけたのは未だに謎だ。

カミサンの入院中、葬儀の折、この方達に手厚くしてもらったのに、それに報いられなかった。

男はその点抜けている。

今日はその荷をおろした気持ちになった。(ダンボの勝手かも?)

中に霊感の優れた人がいて。

「先生がこの家のどこにでも居ます、分かります」

とのご宣託があった。

お客が帰ったら

テルテルがチョットしかお客にお目見えできなかった不満タラタラの様子。

自己中め!

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でも、テルテルにカミサンが憑依しているとはどうみても思えない。

2011年3月29日 (火)

極める

昨日から始まったNHKの番組「極める」

http://www.nhk.or.jp/program/kiwameru/

録画しましたがな!

テルテルとの絆を深めるため!

目の特徴が犬と狼は同じで、チンパンジーや狸と違う。

犬は人の目や指のサインで判断し行動でき、知能の高いチンパンジーにできないことができる。

要するにアイコンタクトのとれる生き物。

面白い番組だった。

テルテルの「お願い」は、読めると感じる。

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「もうお家にはいるの?」

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「もっと遊ぼ!」

しかし、番組を見て、極めてテルテルが自己中だと分かった。

ダンボが目を使うお願いには無関心。

ヤンチャし始めたら、目を三角にしようが、大声出そうが止まらない。

次ぎの写真も、ダンボを見ているようだがカメラ目線に過ぎない。

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餌を前に、飼い主の「待て」を守る犬がTVに出ていた。

見るからに賢そう 

その子は餌でなく主人の目を見ながら待っている。

実験で主人が横を見て目線を合わさないと、辛抱しきれず誘惑に負けてソット餌に口をつけた。

テルテルと大違い。

餌を目にしたら、ひたすら餌を涎の垂れるまで見つめ続け待つのは凄いが、ダンボは存在しないのも一緒。「よし」と言われ食べ物を飲みこむまでダンボを見ようともしない。

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あ~~~あ、道遠し。

でも、やるぞ!

ダンボ塾で鍛えて『名犬テルテル』にするぞ!

2011年3月28日 (月)

ためらい

3月24日の日経夕刊に

「ボランティア態度や言葉遣い充分な配慮必要」

と、簡単にまとめた記事が載っていた。

『被災者にかけない方がよい言葉の例』

■色々あったけど命が助かったから良かったじゃない。

■早く元気になって。

(被災者が失ったものを理解されていないと感じる)

■頑張って。

(頑張って疲れ切っているのに追い打ちをかける)

■早く忘れて前向きに生きよう。

(一生忘れられない体験をしている)

昨夜、独居老人に夕食を作って食べさせようと奇特な二人が家に来た。

他にサポーター二人が加わり、ダンボに手巻き寿司を振舞って呉れた。

テルテルも仲間に加えてもらって座を盛り上げた。

ダンボが失ったものの大きさを皆で小さくしてくれる。

止まった時間の針を動かそうとしてくれる。

力まないで、楽させようとしてくれる。

へそ曲がりのダンボは先制攻撃かけた。

「『長生きしてや』なんか言うなよ。長生きして大切な人と別れを重ねるなんて真っ平御免や」

「生きてたらええこともあるで、こんな会もしてもらえるし」

皆、心得たものニヤニヤしながらはぐらかす。

そんな貴重な時をもてたのに・・・・ためらいがある。

ぽこさん・わんこさん・ともちゃん・やすこ・テルテルありがとう。

又、五月蠅い娘に言われそう、父ちゃんの周り見事に女性ばっかりや。

☆宴の後の我が家は静か。テルテルも手持無沙汰。

ダンボから離れない。

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2011年3月25日 (金)

久しぶりにハダカで❤

父ちゃんテルテルをビューティサロンへ連れて行ってくれた。

東北の友達のこと考えたら申し訳ないけど、爪が痛いし臭いし毛が抜けるしと、父ちゃんが我慢の限界にきたらしい、私もあちこち痒い。

それはええけど、

サロンのお姉ちゃんに私預けながら・・・

「この子ええ子で鳴きませんし、人なつこいし、昼食べさせてきたけどウンコまだしてませんし、我慢強いし・・・」

父ちゃんクドイ!

やっぱり若いお姉ちゃんの手で触ってもろたら、エエ気持ち。

1時間半、あっという間にすんでしもた。

迎えに来た父ちゃん又言うとる。

「この子お行儀良かったでしょう。賢かったでしょう。ウンコしてませんか?」

お姉ちゃん「ハイ」言わんと商売できひんのにアホなこと聞いてる!?

心配せんでも私、最高にお嬢にしてたよ~。

家に帰ってもバンダナ一丁ハダカで過ごす。

まあ見とくれやす。

毎食たらふく食べてるけど、

スーパーモデル並みにスリムでっしゃろ。

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動きも素早いで!父ちゃんスポーツモードで写してくれた。

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ハダカでちょっぴり野性が蘇ったけど、やっぱり私は

ダンボ父ちゃん過保護の娘や。そやないと

こんな犬相にはならへん。

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2011年3月24日 (木)

留守番ばっかさせて!

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テルテル見てみ、こんな気の毒なお友達いるんやで。

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ほんまや、父ちゃんいてくれて助かるわ。

けど、この頃留守番多いで 

そやな~、今日も歯医者さん行ったし・・・・・

けど、帰ってきた時のお前の出迎え方、なんとかならへんか!

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なんでやの!出るたんびに変わった臭いつけてくるやん。

当たり前やろ。

懇親会でお弁当とおやつ出たし、歯医者さんで治療してもろた。

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父ちゃん、私の目みて答えてみ!

何も悪いことしてへんやろな?

悪いことて何や?

そんなん自分の胸に聞け!

テルテルがチェックしたる。

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まあ真っ白とはいえん灰色やけど、加齢臭の方がきついしパスや!

何の検査や!お前母ちゃんと似たとこあるな~

ジャーキーやるし、ハウスに入って寝なさい。

5.9Kgになったテルテルに喉元を押さえられたら、主従逆転しそう?!

2011年3月23日 (水)

我ながら

処方してもらった安定剤を飲み昨夜はグッスリ。

テルテルの朝の世話もルンルンで・・・

雨戸をあけ、隣の紅梅の美しさに見とれ 余裕あり

勿論、パシャ

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テルテルの遊び時間を多めにとる。

テルテルに早昼を食べさせ福祉センターへ走る。

ボランティアの懇親会へ2年ぶりに参加した。

ダンボ自分のことは棚に上げ「皆さんお歳を召したな~」と秘かに思う。

さもありなん、初対面から20年以上たっている仲間が半数近い。

しかし、ゲームが始まると、少年少女とまではいかないが、30歳は若返った。

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帰ったら、テルテル留守番の淋しさを爆発させて体当たり。

噛みやがる(≧ヘ≦)

夕飯はドライの上にささみの缶詰をタップリのせてやった。

テルテルがあまりにも旨そうに食べるので、

ダンボも手間を惜しまず、YUの好きなオムライスを作った。

そして、自分ひとりで完食。

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東北の海が穏やかに。希望の朝日が昇ってほしいとデザインしたつもり。

我ながらコマメやな~

2011年3月22日 (火)

生きてる?

「生きてる?」

ダンボのブログではない。

ダンボ自身バッチリ生きて日曜日・月曜日を過ごした。

賑やかな連休だった。

20日の日曜は墓参りの後、カミサンが念願にしていた嵐山の学校共済保養所「花の家」で、身内12人とお昼を食べた。(次女と三女がUPしているので省略)

ご馳走に箸つけながら、しぜんと話は東北に向くが、関西が元気にならないとと沢山頂いた。

テルテルの昼はエエ匂いの伯母ちゃんが責任をもってくれ心配なし。

夜は長女と「まり」「ヒロ」。三女と「RYO」「YU」が我が家に寄った。

食べてゲーム・カラオケ等で大騒ぎする中、テルテル自由を満喫。発狂状態。

父ちゃんとひっそり落着いている日常とかけ離れ、目を血走らせて駆け回る。

21日、月曜日は、一昨年まで記録ビデオを撮り続けていた踊りの会へ、一眼レフを肩にかけ顔を出した。

テルテルの面倒は泊った三女に任せて最後まで鑑賞した。

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師匠の演目「玉兎」は伝統芸なのに観客から可笑しさに笑い声が起こった。

この時期に光を灯す舞台に見えた。

いよいよ本題!

21日の朝。

朝食を食べながらYUが

「ママ、入れ歯て、生きてるの?」

「・・・・・」

「なんでやの?」

「だって、おじいちゃん大きなった言わはった」

三女の横でダンボ納得!

顔を洗っていると、YUが「おじいちゃん入れ歯見せて」と言うから

「こないだ新しいの入れてもらったけど、大きなったわ」と

右側を抜歯した分大きくなった、入れ歯を見せた。

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「生きてるし大きなったんやろ?!」

4月にYUは3年生。

ダイジョブか?

2011年3月19日 (土)

バースディ

目覚めて、

「今日は?」

被災地の皆さんには悪いが

地震発生1週間目より

カミサンの誕生日だ!と先に浮かんだ。

生きていたら、3ヶ月遅れでダンボと同い年になるが、

位牌の後ろに彫られた「行年 81歳」は変わらない。

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これからは年の差が開くばかり!

「バースディ 仏壇の君 若返る」

あまり差をつけたくないが・・・・・

サポーターが「役立たず!」とそっぽを向くまで、

居座るつもり。

RYOから電話あり。

「今日おばあちゃんの誕生日やろ、そっち行ってケーキ食べるわ」

両親はRYOとYUを預けて仕事。

さっき、長女とヒロが作ってくれた夕食を5人で済ませた。

ケーキも用意してくれている。

「ハッピー バースディ」

2011年3月18日 (金)

気休めにもならないでしょうが

被災地の皆さん。頑張ってください!

気休めにもならないでしょうが、戦中派の老人話を聞いてください。

1945年。敗戦国日本は無の状態といっても過言ではありませんでした。

京都・奈良を除く日本の主要都市は、一面焼け野原でした。

私が除隊して山口県・柳井から京都まで無蓋貨車で運ばれる途中、大阪駅で見た光景は一生忘れません。

梅田の駅から、大阪湾が見えたのです。 きれいサッパリ空襲で焼きつくされていました。

戦後も地獄でした。

都会は飢えに苦しみました。

配給の食料では命はもちません。

配給といえば米や小麦粉などは月に何回か忘れるほどしかなく、得体の知れない粉(フスマ?)や甘ったるい乾燥バナナの時もありました。

天井のうつる薄いお粥に芋の葉がタップリ入っていました。

あまりのひもじさに庭のカタツムリを口に入れたこともありました。

お袋の着物や帯で手に入れた(農家で物々交換)米や芋や南瓜が命をつないでくれました。

栄養失調でお腹のプックリ膨れた人を何人も見ました。

多くの餓死者がでた筈です。

停電は常時でした。今のような家電製品がなかったので不自由したのは灯りですが、戦時中の暗さに慣れていたので特に困った記憶はありません。

自動車は一般庶民のものではありませんからガソリン不足は関係なく、バスは木炭で走っていました。

一部特権階級は知りませんが、民は一様に飢えて貧しかったので、ゆとりある人からの援助の手は差し伸べられません。

アメリカから施しに似た物資が配られても海外からの人道的援助なんてありません。(どの国も疲弊していた)

その廃墟から、日本人は今を築き上げたのです。

被災地の皆さん我々は不死鳥であると信じましょう。

がんばってください!

テルテルも気にしています。応援しています。

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2011年3月17日 (木)

ありがとう

ちか子さんありがとう。
毎日心が折れてしまいそうなニュースが続いています。
私の大学院時代の先輩も一人、未だ安否不明です。
子どもが3人もいるのに・・・。
私の母校、筑波大学も、古かった体育施設等が破損し、
立ち入り禁止が続いているそうです。
でも、塞ぎ込んでばかりいても始まりません!
今は当たり前のことが当たり前にできていることに感謝して、
頑張れる私たちは、いつもより120%の力で頑張ってお仕事して、
そのうち20%は、募金をはじめとした復興支援に当てたいなあと
思っています。
今日も、今から地域の高齢者の方を対象に、面白健康トークと
体操をお届けしてきます。
私の知り合いのクリエイターさんが作った映像です。
涙と元気と勇気が出ます。

声かけ

「見たくない」「聞きたくない」「言いたくない」

三猿でした。

ダンボは弱いです。

自己保存本能のセンサーが働いて・・・・

ただでさえ、鬱っぽかったのに殻を閉じかけました。

でも、ダンボには継続して書かなければならない原稿がありました。

ボランティアの慰問テープに「ダンボ独り言」を収録しなければなりません。

でないと、番組に穴をあけ仲間に迷惑をかけます。

原稿は、録音日の前日15日にやっとこさ出来ました。

『「ダンボ独り言」     祈る

「神仏を崇びて神仏に頼らず」と、宮本武蔵が五輪書に書いている。

私は信仰心篤いとはいえないのに、神仏に頼りっぱなしだ。

我が家に神棚はないが仏壇がある。

毎日、その仏壇に水と暖かいお茶を供えている。切れることもあるが、花を飾り菓子や果物もあげている。

そして毎朝、線香を焚き鐘を鳴らして祈る。

若い時は仏壇も仏像も先祖の位牌もなかった。

この習慣がついたのは25年前、60歳に手が届こうかという頃、管理職になってからだ。

自分の注意や努力では防ぎようのない学校事故が起こらないように

「今日1日、学校の子供たちをお守りください」と祈った。

お陰さまで、私が勤めた間に子どもの大きな怪我や病気はなかった。

私のような不信心者の祈りが神仏に通じたのかわからない。己の心を安らかにしたい利己的な祈りだったかもしれない。

でも、どうにもできない悪運から逃れたい折に、神仏に祈って救われたいのは

弱い人間として普通だろう。私は、仕事がらみでそれを身につけ習慣にしてしまった。

年と共に、祈りの中味は変わっていった。

退職後は、孫や子どもの健康と安全が中心になり、カミサン闘病中は1日でも長く生きられるように祈りを増やした。

今は、愛犬テルテルの無事も数に入れて念じる始末。欲張りに、仏さんは呆れておられるに違いない。

ただ、宮本武蔵が何時も心のどこかに引っかかっているせいか、自分の為に祈った事がない。

昨日から祈りをまた増やした。

「東日本大震災の犠牲者がこれ以上増えませんように・・・・」

この願いは、何としても叶えて欲しい。 

平成23年3月14日 』

 昨日、録音も終わって疲労困憊。 

また閉じこもろうとしていたら、長女がきました。

お陰で9時に床に入り眠れました。

今朝、気分を改めたいと、PCを開いたら、

真っ先に飛び込んだのが「ひろ子はん」の声かけでした。

その前のネガティブ記事の「人相」で、「おたまさん」から発破かけられてたのに・・・・

ありがたいです。

このまま落ち込んでいたら、被災地の人々に何かが出来るどころか、復興の足を引っ張る存在になりかねない。

悟りました。

ガンバリマス

2011年3月13日 (日)

言葉なし

ただ見てるだけ。

なすすべなく・・・・

頭をよぎるのは、小松左京の『日本沈没』

作りものでない大災害を前にして。

三陸海岸の人々は、11日のお昼を食べただろう。

穏やかに何の不安もなく。

そして、何千人の方々は、夕食の膳につくことはなかった。

予期しない、予想できないのが自然の猛威。

天声人語にあった『人間は弱い、弱いから支え合うしかない・・・』

仏壇のカミサンに語りかけた。

「あんた、まだ良かったね。皆に看取られ惜しまれ涙で送ってもらえて」

未曾有の天災の犠牲になられた方々の冥福を!

2011年3月10日 (木)

人相

歯医者の待合室で、

座ったら、

正面に鏡があった。

何と!人相の悪い男がこっちを向いている。

マジで驚いた。

俺はこんなに人相悪かった?

口はへの字。

唇が薄い、冷酷な投げやり人。

鼻の下が前より何%か伸びてるのに、

愛嬌がない。

絶対笑わん顔にしか見えない。

悲しくなった、

両手の人差し指で、

口角を上げ

笑顔をつくる。

ダメだ!

悲しいピエロの笑顔になる!

心が顔に出るとしたら

これが素顔か!

テルテルとふざけケッケッと笑っているのに・・・・・

独りになったらこんなもんか。

※最近心の上下動が激しい

2011年3月 9日 (水)

積み残し

毎日々々 積み残している、先送りしている。

半年経ったのだから・・・・といわれても底から湧く気力がない。

気掛かりが、ざっと思いつくだけで片手の指が要る。

「遺品の整理」「遺言書の書き直し」「エンディングノート訂正」「相続した土地の名義変更」「別れのビデオ」etc.

しかし、期限があるわけでなく、ポックリ逝くことを考えての焦りだ。

期限があるのが、「確定申告」

カミサンの凄さが今更のように身に沁みる。

毎年、カミサンに言われるまま、ダンボは確定申告をした。

証明書など添付書類は完璧に揃っていた。

ダンボは、申告の手引をみて記入するだけ。

今年は違う!

捨て置こうか!と考えたら、悲しむカミサンの顔が浮かんだ。

腰を据えて、朝から食卓に書類を広げた。

1日かかって、机の上は見ての通り。

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医療費控除で壁に突き当たる。

残っている領収書だけで申告することに決めた。

「頑張らない」のが精神安定の特効薬。

テルテル

ええな~お前は。

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2011年3月 7日 (月)

6ヶ月目

カミサンが息を引き取って半年たった。

7はラッキーナンバーでなく、アンラッキーな命日だ。

ダンボとしては「もう半年」たった?と感じる。

カミサンが隅々に残っている家に住んで、

時が一旦停止する暮らしのせいだろう。

去年の今月今日はどうだったか?

倍に遡ってカミサンを偲ぶのため、日記とブログと写真のフォルダを開く。

5ヶ月後、カミサンをあの世に送った、抗がん剤「ジェムザール」のお陰で、元気なカミサンがそこに居た。

3日は「ちらし寿司」を作っている。

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6日は「ガン患者サロン」に出席している。

7日は、3女の家族が居て、見舞いに来た8人の教え子と談笑している。

しかし、去年の3月7日は、庭の梅が咲いていた。サクラソウも清楚に咲いていた。

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なのに、今年は梅の花は未だ開かずサクラソウもない。

冷たい現実があった。

2011年3月 6日 (日)

啓蟄選挙

暦では今日が「啓蟄」

大地が暖まり虫が這い出してくる日だとか。

でも、まだ地面を動いている虫を見ていない。

そのかわり、目立ってきたのが・・・・

「選挙だけ 目立ち始める 議員さん 普段は何処で 何してるんや?」 ダンボ

我が町も選挙がある。

市長と市議会議員を選ぶが、

先日の朝日新聞「山城版」を見てガクッとなった。

『首長提案を否決も修正もしない』

『議員から政策条例を提案することがない』

『議案への議案個人の賛否を明らかにしない』

所謂、三ない議会が京都府下に9議会あり、その一つに我が町が堂々と入っている。

我が町の議員報酬は政務調査費を含め37万円で、府議会議員の146万円に比べ決して多いとは思えない。(府議会も三ない議会)補足

でも、政治をする意気込みが分からない。

100人いたら100通りの考えや希望がある。

てんでバラバラになる筈の社会に何とか秩序を保たせるルール。

ルールは人が作るし完全ではなく、時代や社会の変化で変えるのが当然。

だから、立法に責任をもつ議員さんが人の話を聞き自分の意見をもちしっかりして欲しい。

にもかかわらず、行政さえしっかりしていたら、用無しの議会なんかい!

リビアとかわらんぞ~

あ~~いやだ。いやだ。

ノンポリに徹して生きるつもりだったのに・・・

やっぱり放ってはおけないかな~

『公人である議員の徹底的情報公開』をもとに選べるよう要求してやろうか!

テルテルみたいに分かり易く!

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「なんかちょうだい」  テルテル

末恐ろしや

テルテルのすることなすこと・・・

末恐ろしい。

youkoさんやKeiさんに、色々アドバイスもらって、できるだけはしたつもり。

例えば、フローリングの床は滑って捻挫するから、滑り止めに敷物を・・・

全部とはいかないが、敷かせてもらった。

でも、一度テルテルが暴走はじめたら敷き物は無残に散らばる。

つるつるの廊下でも見事に突っ走る。

F1か!

巧みに後ろと前の足を斜めに滑らせながら、コーナーを減速しないで曲がる。

直ぐ2本足で歩くのではないかと思うくらい後ろ脚が強い。

当然、ジャンプ力は半端じゃない。

昨日も、ダンボが投げたぬいぐるみがケージの上に引っ掛かったら、

楽々飛び乗って取る。格子に足を突っ込んで折らないかヒヤッとさせる。

低い居間のテーブルなど床と同じ感覚なんだろう、

1日に10回は「ダメ!降りなさい」と、言わねばならぬ。

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性格もどうなるものやら?

我がまま気ままの、じゃじゃ馬娘になりそうだ。

親も悪いが姉も悪い。

「春になるし・・」と、服を2着買ってきた。

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テルテル、ファッションには興味ないが、

姉が来たらオヤツが増えるの分かってる。

つきまとい、ガンを飛ばして

ねだる!ねだる!

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あ~~、5人の子育てを経験したダンボでも、

育児ノイローゼになりそうだ。

2011年3月 4日 (金)

四つになった石

先日の老人会4役会の折。

Mさんから、又 石を頂いた。

最初の水石から数えて

http://hirosi-dambo.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-c8f8.html

これで4つめ。

産まれた場所で、「これほどまで!」と、驚くほど表情が変わる。

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頂いた順は左から、1・4・2・3番。

頂く度に、ダンボ流で名前をつけた。

1番 「峨眉山」杜子春を連想した。

2番 「風」 夏に頂いた。色と文様が涼しげだった。

3番 「さくら」 吉野にしようかと思ったが、ずばり、麓から満開になる「さくら」に   

最後のは、未だ名前がない。

「四万十川のです」と、聞かされ,手にした時、

優しい滑らかさで、生命体を感じた。

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「水石」は究極の趣味!

と、聞いたことがある。

Mさんは暇があれば、目を皿にして石を探し巡り、(石は一切加工してはならない自然のまま)意中のモノをみつけ、美しさを磨き、正面が際立つように台座を作る。

無から有を生み出す根気と審美眼のいる趣味で、はまって当然と思う。

頂いて、鑑賞したり愛撫している程度で、趣味の域に達していないが、ダンボ空想を掻き立てる石が好きなのだ。

2011年3月 3日 (木)

特別食

カミサンとダンボ用に生協の「三色だんご」がある。

ひな祭りを意識して申し込んだもの。

テルテルが可哀相。

朝から何か作ってやろうと考えていた。

問題は、テルテルの体質

現在、5.7Kg

底なしの食欲。

三色団子を「キュウリ・リンゴ・ミカン」で

団子の串に「干し柿の細切り」

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テルテル目が血走っていた。

それでも、「待て!」を守った。

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「灯りをつけましょ雪洞に・・・」で(歌詞も忘れた)止めて。

「よし」

シャッターを2回切る時間しかもたなかった。

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洗ったように舐めた皿を

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未練がましく咥えて

ウロウロしていた。

朝の散歩

雨戸を開けたら、テルテル飛び出す。

ウッドデッキで尻込みしていたのに、

今は当然のように庭に降りる。

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ダンボがどんな反応するか覗うが

もとより命令に従う気持ちはない。

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わがもの顔に徘徊する。

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変なものを口にしないか気がかりだが、

追い駆けて捕まえられるものでなし、

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「どうなっても知らんぞ~~、自己責任やぞ~」

と、6ヶ月の子に不釣り合いな言葉をあびせる。

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チラッと飛び出した目の端に

ダンボを捉えていても

無視しやがる

しかし、ダンボにゆとりがあるのは、

テルテルの弱みを熟知しているから・・・・・

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「お~~ぃ ご褒美あげよ! ジャーキーあるぞ~」

飛び出した時と同じ勢いで飛び込んできた。

今日は「ひなまつり」

テルテルに特別食つくってやろう。

2011年3月 2日 (水)

3K

婚活は「高学歴・高収入・高身長」

避けたい仕事は「きつい・きたない・くさい」

年寄は「高血圧・高脂血・高血糖」

民生委員の資質は「謙虚・屈託・健康」

世に3Kは色々。

そして、ダンボは

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うふくが、うふくで、うふくになった。

昨日、一緒に映画に行ったIさんから「手作りみそ」を『手前味噌で美味しいで』と・・

Oさんから『くにの父が漬けた』ものと・・「白菜の漬物」を貰う。

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両方とも、今の言葉で「マジ、ヤバイ」味だ。

この感動を独り占めしたら罰が当たる、

Keiさんが教えてくれた「エリンギ松茸ご飯」に添え、「老人会四役会」で、皆さんに振舞った。

四役会はカミサンが病に倒れてから会場が我が家となっている。

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-小鉢は別物-

皆さん旨さに感激!これもマジで!

カミサンが亡くなってもう直ぐ半年。

幸福から見放されたようだったが、

交わる人が暖かい。

交福

その人達のお陰で

口福が得られた。

ダンボは

幸福

この積み重ねでダメージは消える。

2011年3月 1日 (火)

映画久しぶり

24日に約束した映画鑑賞の日。

「太平洋の奇蹟・フォックスと呼ばれた男」へ行く。

テルテルの起床時刻が気になった。

こちらは奇蹟は起らなかった。

3時40分に起こされる。

今朝分かった、テルテルはお腹が空いて起こすのではない。

ダンボが半分寝た状態で檻から出してやると、

まっすぐ、寝床に入ってくる。・・そして・・・

仰向けに手足を伸ばし、棒鱈状態でいびきをかきはじめる。

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今日は長い留守番をさせるのだから、我慢する。

11時、車で迎えに来てくれたOさんとIさんに、「寝るかも知れんし寝たら頬っぺたひっぱたいてね」と頼んだ。

心配したが、寝なかった。

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それだけ良かったか?と自問しても答えはでない?

戦争映画で、後味のいいものがある?

大場栄大尉は、帝国軍人にしては珍しい人物で、それが奇蹟だった!へそ曲がりは考える。そして又、アメリカ軍にそれを理解しようとする将校が奇蹟的いた。

所詮、戦争は殺し合い。殺さねば殺される、だから、美化してもしきれるものでなく、この物語は奇蹟だったと納得しなくてはならない。

それにしても、あの戦争での300万人を超す日本人の死は一体何だったんだろう?

この映画は事実をもとにして(ドン・ジョーンズ著・実録『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』より)作られたとあるが、映画のタイトルエンドに大場氏のその後が出ないのが不思議だった。

ナンダカンダ言っても、ダンボを励まそうと映画に誘ってくれた、お二人には感謝の気持ち一杯だ、

テルテルは不満だったらしく、帰ったら離れなかった。

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