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2007年9月

2007年9月30日 (日)

瞬間風速30メートル

 今日は滋賀も雨、エネルギーをもてあますRYOとYUの相手は、かくれんぼと阪神応援バットを使ったバッティング練習。こちらは休みながらホドホドでも結構疲れる。当然、YUの頭は汗でビショビショ。

004  「義父さん、これなかなか手に入りにくいのですよ。阪神の矢野がつけているのと同じで・・・」と、RYOとYUの父親が、黄色と黒のネックレスを買ってきて呉れた。頼んでもいないし、プレーオフを心配しているのにタイミングが悪すぎる。それに、80前の首には似合わない。一旦断ったが,折角の好意を無にするのは気の毒なので、黒だけ貰った。子守の御礼なら貴重品かもしれないが安いものだ。

 帰ってパソコンに向かった。ミャンマーのことも書きたいが、刻々と古くなるビックニュースを書く。

 26日に「阪神ドレミの歌」を載せた日、アクセス解析を見てエッ?アクセスが97もあった。最高アクセスから見ると半分だが・・・・

 そして、一昨日。Googleのダンボ独り言の項に『ブログサービス「ココログ」:ココラッシュ:スポーツ ディリーランキング31位とある。

 仰天した。97アクセスぐらいでランク入りするのかと、開いてみると確かに30位に載っていた。ディリーランクだから直ぐ消えた。

 瞬間風速30メートルの突風が吹いた気分だった。

 何処の何方が、何から見つけてマイブログに入って来られたのか分からないが、これだけトラ狂いが存在する。お陰で落ちぶれ阪神への腹立たしさが薄まった。ありがたいことだ。 

2007年9月29日 (土)

運動会少数派

 YUの運動会で又滋賀の娘の家に来た。

 小雨のパラつく中、幼稚園の運動会が急ピッチで進められ、12時過ぎにプログラムが終わった。で、解散帰宅ではない。

004  朝早くから準備したお弁当を家族が輪になって食べるのも運動会のスケジュールだ。先週のRYOの時もそうだった。

 あちこちで、夫婦と子供達は普通、正月料理と見紛う弁当を前にした3世代の団欒ができ昼食が始まった。かつて、勤務していた京都市内の学校とは違う。

 運動会のプログラムにも、「お父さんと遊ぼう」とか、祖父母対小学生の玉入れなどがある。

 今はどうか知らないが、京都では運動会でも学校給食があり、保護者と昼食は別だった。

 遠足の時のように、運動会でもお弁当ぐらい子供に作ってあげれば!とも思うが。その遠足の時に、白いご飯と魚肉のソーセージ1本だけもってきた児童を担任した経験のある私は、少数派を無視できない。

 この幼稚園には、母子家庭・父子家庭はないのだろうか?祖父母と疎遠な核家族はあるに違いない。

 見回してみたが、気にするような家族は見かけない。もし、少数派が影を潜めてコンビニ弁当を食べていたら?と曇り空の気分で幼稚園を後にした。

2007年9月28日 (金)

不公平日本

 昼の番組タモリの「笑っていいとも」にチャンネルを合わせる。何が何でも笑いたい心境だから・・・お陰で昨日も笑った。

 セレブが身に着けている品物の金額をあてる趣向だった。そもそも、バラエティに出演するセレブの存在が笑い話だが、1000万円から5000万円を身に着けて出てきた姿は爆笑モノだった。

 最後のセレブなんか、この暑いのに毛皮のコートをはおり、重ね着をしたプーさんの縫ぐるみか、満員になった食堂のコートハンガーみたいだった。

 高収入を得ている司会のタモリは、明らかに『粋もわびさびもご存じないね。金額を競うなら褌一丁でパテック・フィリップの逸品時計を腕にして出る才覚ないのかい』と言いたげな冷めた顔で司会する。おかまはセレブの身につけているブランドを当てて、みえみえのゴマをする。若手芸人は「オー」とか「エー」とか言っているが、気持ちがこもっていない。

 見ている私は、1000万円の着物であろうと、1946年当時10kgの米にしか交換できなかった飢餓地獄を知っているから「そんなの関係ない。」

 夜になってテレビ解説を見ていたら、年収200万円以下のワーキングプアが1000万人を超えたと報道していた。就労人口約6000万人。働く6人に1人が10年働いてもセレブのコート1枚買えない現実に笑いは止まった。

 今朝の新聞にも、民間サラリーマン平均年収434万9000円、9年連続減!

 004ヨノナカ変じゃない?こんなに不公平感をマスコミなんかで垂れ流していても。ストもテロも革命も暴動もない幸せな日本だ。

 福田さんよ、物質格差は解消できなくても、精神格差を縮める努力でもして 犯罪を防止し外国のテロより国内のテロに気をつけてくださいよ。

2007年9月27日 (木)

かけがえはある

 『病気は、私の人生にとっては無駄ではありませんでした.見舞いにきた友達から話を聞くうち、「私の存在は意味のないことだった」とわかった。自分が抜けても世界は変わらない。このことが逆に、精神の安定につながりました。謙虚な気持ちになり、気負いがなくなったんです。でも、このまま病気で消えてゆくのは残念や。』

 梅棹忠夫氏のコラム「時代の証言者」の一節だ。ズシンときた。

 やっぱり、梅棹氏ともなれば、「世界は変わらない」とスケールが大きい。

 確かに、自分は、意味がないとまでは言わなくても、かけがえのない存在ではないと、今までに何回も感じた。

 「長」のつく経験を幾つかしたが、私の抜けた後何事もなく組織は運営されている。家族だって悲しむのは一時、思い出のアルバムに組みこまれ、生き物の本能と責任感で家族生活が続いていく。

004  かけがえのない存在だ。などと、思い上がる私ではないが、「私がいなくなったら不便で困るだろうな!」と、思われる身近な人達はいると断言できる。でも、必ずその問題は解決されるし思い出にチョクチョク出てくる程度になるだろう。

 一体、今日の私は何を言いたいのだろう?阪神の優勝の希望が消えたので、かけがえに為るものを探して探して、支離滅裂か?

 そんなの関係ない!そんなの関係ない!と、40年若かったら踊っているかもね。

2007年9月26日 (水)

阪神ドレミの歌

001  ドはドミノのド

 レは連敗のレ

ミはみんなのミ

ファはふぁんはのファ

ソは谷の

ラは落胆しー

シは不しあわせ

さあ歌いましょ~~

と・ら・ま・た・お・ち・た・よ。

ね・こ・に・は・な・る・な・よ。

(ここで、六甲?だいこんおろしの大合唱)

※許可無く加筆・訂正・変更・転載を許します。

何しろ、意気消沈しているので、頭が回転しません。どんどん、変えてコメントしてください。

2007年9月25日 (火)

月見

001 中秋の名月だそうです。

 ススキもなし。月見団子もなし。芋もなし。風情もなし。

 003眩しい月でした。

 虹色のバリアで

 月の顔が見えません。

006独りで二階のベランダから、月と対面していましたが、

カメラを使って覗くことにしました。

010

感度を変えて撮るうちに

やっとウサギが姿を現しました。

でも、それまでにも増して、 風情がなくなりました。

 

旨かった魚

 秋刀魚が旨い、生きのいい生なら云うことなしだが、冷凍物でも結構旨い。備長炭の強火で、ジュウジュウ焼いたら最高だろうが、ITの魚焼きのオートで焼いても結構旨い。005

 しかし、私の味の歴史で旨かった魚のベストスリーは、生で食べたものばかりだ。

 その1、昭和26年頃、学友2人と南紀の旅をした。那智で汽車を降り、海岸でキャンプした。未明に漁を終えた漁船が近くに着いたので、魚をわけてくれと頼んだら、半折の新聞紙に山盛り呉れた。

 見渡しても人影のない海に、素っ裸になって腰まで漬かり、分けて貰った小鯵を頭だけむしって齧った。京都暮らしの私達にとって初めて口にする生臭くない魚を夢中になって食べた、生涯忘れ得ぬ旨さだった。若い3人が鱈腹食べても半分余った。

 その2 兄から「ムロアジをお得意様から頂いたので取りに来い」と電話があったので飛んで行った。30センチの上物を2匹貰って帰り家で刺身にすることになった。

 魚をさばいた経験なし、出刃もなし、狭い公団住宅の台所でステンレスの三徳包丁でグチャグチャの刺身にした。でも、その甘かったこと、深みのある旨さを、40年経っても忘れられない。

 その3 昭和40年頃の夏、家族で若狭の海へ行った。小川(地名)の民宿で、ベスト3に入る旨い魚の刺身を食べた。

 凄いもてなしだった。ステンレスの大きな楕円形のトレイ2つに、4・5種類の刺身が山盛り出てきた。刺身のツマは千切りのキャベツだった(とんかつでもないのに・・・・)

 しかし、その味は絶品!兄嫁と3歳の子、我々夫婦に3人の娘、末っ子は2歳。幼児の混じった7人でペロリと平らげた。

 驚いたことに朝食にも同じ量の刺身が出た。勿論、残さなかったし飽きがこなかった。ひと泳ぎして昼食になったが、今度は我々が刺身をリクエストした。

 2家族が3食連続で食べた魚は何キロぐらい? 後にも先にもない刺身こだわり宿泊だった。

 以上。 料亭で、上品な器に盛られた高級魚のつくりが敵わなかったのは何故だろう?

2007年9月24日 (月)

瓢箪から冬瓜

 ボッチャン首相が政権を投げ出した時、V仲間のOさんが「今度の総理は誰と思う?口を曲げて喋る人は嫌いやけど」と、カマをかけてきたので「福田が出たら面白いで!」と、答えた。新聞に福田のフの字も出なかった時だ。

 歳だし、前回の総裁レースを早々に降りてしまい、欲がなさそうだし、スポットライトの前にシャシャリ出る変態とは違うから、Oさんは想定外だったようだ。

 私は、小泉内閣時代、福田官房長官の記者会見での受け答えで、恐るべき政治家だと思っていた。口の曲がったAさんの使う親父ギャグと違うユーモアがあり、煙に巻きながら伝えてしまう、ボスの失点もカバーする。人を平気で褒める(自信がなかったら簡単に他人を褒められない)でも、メガネの奥の目は冷徹だった。

 人によって、真実を喋っても「嘘っぽく」聞こえる人と、嘘でも「真実っぽく」聞かす人がある、福田は正しく後者だろう。

 新聞には「福田ビジョンを明確に」などと、書き立てるが、本人は「問題を解決するのが政治家だ」と、打ち上げ花火は揚げない。そうでしょう、余りにも、前々回からの政権がした負の遺産が多すぎる。

 大風呂敷を広げ、全国を金権列島に改造した田中角栄と熾烈な権力闘争をした父福田赳夫。生まれ変わったとはいえ角栄の流れを汲む小沢一006 郎との対決が楽しみだ。

 瓢箪から駒ほどのハプニングでなくても、「瓢箪から冬瓜が飛び出した」ぐらいのサプライズ、これだから自民党は恐い、誰に聞いてもコンピュータの音声ガイダンス的返事しかない政党(どこだろう?)とは違う。

 「瓢箪鯰」で民主党が手玉に取られないように注目したい。

 

2007年9月23日 (日)

 滋賀の娘の家は、今風だから和室6畳の間は、フローリングの床から20センチばかり高くして、リビングの一角にある。

 夏はもっぱら、そこが寝室だ。敷布団が二流れ、間に薄い掛布団を置いて部屋一杯に敷き詰める。

 そこに、親子4人が寝ている。私達が行くと、RYUやYUがジジババと寝るのを厭わないので、親と交代するが、これが私達の寿命を縮める。

 RYOとYUの寝返りの凄さは、寝返りの限界を超え寝徘徊である。上下左右の転換は当たり前、部屋の隅から隅まで移動する。

 寝冷えしないか、段差から落ちないか、頭を床框にぶつけないか、重なって呼吸困難にならないか・・・・年寄は心配の種が尽きないものだ。

 気配りして深く眠れず、やっと熟睡したと思えば、YUの踵で顔面を強打されて飛び起きる。

 親は慣れたもので、何処に二人がどう転がっていようと自分達の睡眠は確保するが、ゲストはそうはいかない。

003  でも、最近はかなり慣れて、4・5時間熟睡できる。爽やかに目覚めたら、横に、二人が卍になって寝ていた。ダイナミックな二人の寝相を記念撮影した。

 昼間の筋肉の疲れをとるのが寝返りだとか、寝た時と同じ姿勢で目が醒める自分との違いに、悲しいやら羨ましいやら・・・・ 

 

2007年9月22日 (土)

カメラの放列

003  チョッとタイトルは大袈裟かもしれないが、小二の孫の運動会に行き、思わず演技を忘れて撮った光景だ。

 最近市制をしかれたばかりの5万都市。昨日の記事のように、いたる所に田畑が目立つ町である。その町の運動会にデジタルカメラとムービーが百台以上結集する。

 学校も心得たもので、本部・敬老席の横に撮影場所の張り紙がしてある。でも、ベストアングルを求める親は、そんなもの、あってないようなもの、フィールド以外は撮影場所だった。

 60年前に、こんな現実を想像できた日本人は何人いただろう?家庭に入り込んだ自動車・電話・パソコン・テレビ・オール電化製品、全て科学空想小説の世界だった。

 最初は炎天と体力を考えて、ほどほどに撮影するつもりだった。周りを見回しても、白髪頭のカメラマンは片手ほどしかない。しかし、カメラを持つとほどほどは通用せず、禁を破ってあちこちから孫を狙った。

 高くも無い鼻の頭は赤くなる、身体は火照る、どうも、滋賀に来ると「敬老の日」が「軽老の日に」なるらしい。

2007年9月21日 (金)

秋の気配

 明日は、RYOの運動会。先週もYUの祖父母参観3泊したのに、滋賀の家にまたやって来た。

1_012  前回泊まった折、朝の稲田に向かってカメラのシャッターを何枚も切った。もう、近江米の稲穂がお辞儀をしていて、暑くても秋の到来を告げていたからだ。

 近江米といえば、メジャーでは無いかも知れないが、京都で暮らした私にとっては「こしひかり」「ひめこまち」等より馴染み深く由緒正しいお米である。戦後ひもじい時、「江州(近江の別称)米の銀シャリ」が食べられたら感004激の涙がこぼれたものだ。

  今日来てみたら、見事に刈り入れがすんでいた。都市近郊では、農作業の機械化は当たり前だろうが、その素早さで、一辺に秋を引き寄せた気分だ。日本中何処へ行っても時計が早く回る。

008  折りしも、空には半月がかかっている。2007年の「中秋の名月」(仲ではない)は9月の25日だそうだが、後四日で満ちる月ではない、今年の名月は満月ではないようだが、雨雲に邪魔されず清らかな顔を見せて欲しい。

 残暑といえない異常な高温日が続くが、秋は見えている。

2007年9月20日 (木)

捨てるに捨てられない

 さんまのカラクリテレビの問題に出る「捨てたくても捨てられない物を家から探して持って来て下さい」が何時も頭の片隅にある。

 見回すと、我が家に何と物品の多いことか!何年、いや十何年、いや何十年も触りもしないのに残している物がある。置物ならまだしも、実用品がである。

 でも、「捨てられない」と深く係わる価値観に、立ち入るのは容易ではない。「・・・・ても、捨てられない」と半世紀以上、互いに思って過ごしたかも知れない我々では、指で石に穴を開けるより難しい。

 だから、錆びた編み物機やミシンがあっても、家中の押入れに派手な服が架かっていても、スーパーの粗品みたいな陶器が並べてあっても、文句は言わない。でも、人のことばかり目に角立てるのは変だと気付いた。

 先日、何かで「意中の結婚相手ができたら、その家に行って蔵書を見るとよい」という話を聞いた。で、年頃の子供は無いのに本棚を見回すと、何と雑多なこと。中に写真のように古紙業者も断りそうな本まで残してあった。

1_002  懐かしい本だ、昭和10年初版が出たパールバックの「大地」。これは13年に発行された1円30錢の本だ。この本は中1の私に読ますのは早いと兄が隠してあった。それを、秘かに読んでショックを受けた記念の一冊だ。何を兄は心配したのか分からない、王龍がドサクサまぎれに宝石を盗んで成功の道を歩む生き方なのか、富豪になった王龍が妾をおいた堕落した暮らしなのか?第3部の分裂せる家は無くなったが、実家を出る時貰って蔵書に加えた。

 もう一つは有名な太宰治の「人間失格」 奥付には、筑摩書房、昭和23年7月25日発行とあるから初版かも?定価は百参拾円となっているから、10年で100倍になった訳だ。師範学校入学当初、何回も読んでレポートを書いた。今のトイレットペーパーよりも粗悪な紙、「からかはないでよ。」てんで疑はうとしないのです。「見ればわかりさうなものだ。けふも、お畫から飲んだのだ。・・」と、読みにくい旧仮名遣い。破れ千切れて無くなった表紙、余人には何の価値も無いが、私は捨てがたい。

11_002  本棚の隅にあった記念の楯。府の予選も勝ち上がれなかった頃の伏見工業高校ラグビー部の夏の合宿を16ミリムービーで記録した。完成記念に貰ったものだ。ラグビーボールと若者の横顔は、顧問の窯業科の先生の手作り。何とも貧相で傷だらけの楯だが、私の青春が一杯詰まっていて捨てられない。

 私が生きている限り、これ等は何にも換えがたい価値がある。

 

2007年9月19日 (水)

身体がもたない

 阪神巨人の最終戦が今、たけなわである。しかし、阪神ファンとして残念だ。先発のボーグルソンが巨人のピッチャー内海に危険球を投げて即、退場となった。

 ボーグルソン自身に故意は感じられないが、相手すれすれにビーンボールを投げる技術はないのだろう。2回表に満塁ホームランを浴び、頭にきた末の投球としたら、こんな選手はアメリカ帰ってもらいたい。

 ボーグルソンの死球ショックで、又、後続投手がスリーランを浴びて4回で7点差となった。

025  巨人には失礼だが、もうこの試合はプライドを捨て、何十点の差をものともせず、格落ち選手を投入し、連戦のレギュラー選手を休ませてやって欲しい。

 それぐらいのゆとりが私の応援にも欲しい。今日も「早くケリつけて欲しいわ、でないと身体がもたん!」と、トラキチ同士で嘆いていた。

 「プロ野球~甲子園 阪神×巨人 ▽猛虎V奪回へ道一筋おもろなってきたでぇ波乱のペナントレース 原巨人も落合竜もよう頑張った・でも最後に笑うのは・・・・」 なんと、この文言、新聞テレビ欄の案内文、それも、読売新聞だ!視聴率・購買部数の為なら、どんな事でも書きまっせ。多分、関東地域では、決して同じ記事を目にすることはないだろう。

 これ程、関西地区の野球ファンは熱狂し、マスコミはそれに迎合し、飲み屋は儲かり、優勝祝賀会の企画を立て始め、阪神優勝を条件に高利息を定期につけた銀行頭取は頭を抱え、私も慢性睡眠不足に悩まされている。

 今夜はTV中継を見ながらの投稿になった。

2007年9月18日 (火)

ささやかにお返し

 昨日は自治会から、気の効いた敬老の日のもてなしを受けた。

 今日は、老人会有志でささやかなお返しをする。

 8時30分、手に手に金バサミとビニル袋を下げ約30人が公民館に集まった。

 自発的と言いたいが、「我が町を美しくする会」が、市内各老人会に呼びかけた活動の一環だ。でも、ゴミを拾い地域美化に奉仕するのは悪くない。甘えてばかりの老人になりたくないと思って参加する。

Ca380002  1時間と少しで写真のゴミが集まった。

 参加して感じたこと。

 道端の缶やペットボトルのポイ捨ては少ない。公園のベンチ近くに集中している。路上のタバコの吸殻が目立つ、屋内で吸い難くなっているせいか?

 作業をしていると、時間が時間だけに老人によく出会う、反応は三つのタイプ。

 ○ 「ご苦労さんです、綺麗にしてもらって」・・・・犬を散歩させている人。 他人事みたいだけど、まあ、嬉しい。

 ○ 無言、顔を伏せて足早に擦れ違う・・・・腰が少し曲がりかけた奥さん。 いいんですよ、貴方は悪くない。何か自分が悪いことをしているようで申し訳なくなる。

 ○ 完全無視、黙々とトレーニングを続ける・・・・・同年輩か少し若い気難しそうな男性、公園で健康維持の運動をしている。 羨ましいな~己の為だけに徹底して生きられる人は。

 「地獄も極楽も食堂は一緒、出ているご馳走も一緒、食事の箸は1メートル近い長さなのも一緒。

 地獄では、難儀な箸に手こずって食べられない亡者が、空腹のうっ憤をはらそうと大暴れ。

 極楽では、長い箸でお互いに向かい側の人の口にご馳走を運び、和気あいあいと食事が進んでいる」

 腹癒せに、娘から聞いた法話を反芻した。

 

2007年9月17日 (月)

敬われた日

 我が自治会主催の敬老行事があった。普段は福祉部の役員として世話する方だが本日は客だ。自治会役員を含めた100人近い高齢者と高齢者予備軍(役員・来賓)が公民館に集まった。

1_022  自治会長(我が町では区長という)の挨拶は型破り。

1_019 初めて敬老会に出席すると、皆にお披露目の挨拶。

1_030 死没者に黙祷を捧げてから乾杯に・・・・

1_035 食べることがメイン!我が町評判の料理屋からとる弁当はなかなか美味。

1_041 1_057 プロの演芸、ものまね漫談「青芝モンタ」に腹を抱えて大笑い。

 スターを目指す新人歌手「高橋由佳」の歌に聞き惚れる。

1_075 ビンゴゲームで締め括り。決して、お座成りの行事ですまさない、自治会役員皆さんのサービス精神には頭が下がる。

我々は、幸せな世代なのだ。

2007年9月16日 (日)

保護者番外編

 読売新聞のコラム「時代の証言者」に、文明学者の初代国立民俗学博物館館長、梅棹忠夫氏が登場した。

 梅棹忠夫氏といえば、京都市左京区K小学校に勤務していた頃の保護者だった。

 家庭訪問で驚いた、二人の男の子の部屋に、それぞれ表札がかかっていた。

 1960年頃だったと思う、K学校の教職員研修会の講師を梅棹助教授にお願いすることになった。(依頼者はK小学校の校長だと思う)

 研修会は、全校児童の授業が終わった3時半過ぎから始まる。梅棹助教授は几帳面に、定刻より可なり早く来られ、校門の階段に坐って待っておられた。

 講義の中で「東洋的時間と西欧的時間」についての部分は鮮明な記憶として残った。

 西欧の時間はTime is moneyであり、直線的で過ぎ去った時は取り返しがつかない。

 インドへ行ったらガンジス川のほとりで、1日川面を見て過ごす人がいる、東洋的時間は輪廻であり永遠の時を刻む。

 約束の時刻に遅れない梅棹先生が、東洋的時間について愛惜の情を込めて喋られたのも印象深かった。

 失明されても、国立民族学博物館の顧問として現在も活躍されている由、私達は何と贅沢な環境の学校に勤務していたものだと今更のように思う。

 

2007年9月15日 (土)

決闘野球

 昨夜のゲームは、球史に残るとは言えないかも知れないが、私の中では消えることはない。

 野球は、9人でゲームするものではない。監督がありコーチがあり、控えの選手があり、様々な裏方に支えられ数十人で戦われる。

 最近の野球は、特にチームワークが強調されてきた。監督の指揮下一糸乱れぬ統制野球が巾を利かせ、好成績を挙げている。

 監督の選手起用、作戦の遂行に選手が応えたら勝つ、選手はプロの凄い個人技をもっていても、勝つチームの駒である。

 しかし、昨夜の阪神中日戦は、常識を破った。9回表、2人が野球をしていた。誰一人介入することの出来ない空気の中で、藤川とウッズが決闘した。

070915_17280001  同点だった。ランナーを出してしまった藤川は、1点も与えることのできない状況でウッズを迎える。打率こそ2割9分でもホームラン34本の強打者だ。

 そのウッズに向かって、藤川は直球一本の真っ向勝負を挑む。テレビのこちら側で「フォークで討ち取れ」と、何回怒鳴ったかしれない。

 フォークを使えば、90%以上三振をとれただろう。キャッチャーの矢野が何回もサインを出している。藤川は首を横に振りストレートを投げ続けた。11球目、センター前にヒットされ、決闘は終わり阪神が負けた。

 勝つために登板を命じられた藤川が、シーソーゲームを必死で戦ってきた仲間を、自我の為に裏切った。監督に責められても致し方ない所業だ。

 でも、私は超個性的な選手の揃っていた往年の阪神を思い出し、負けが悔しくなかった。

2007年9月14日 (金)

保護者になって

 今日は4歳11ヶ月の孫YUの祖父母参観日だから、昨夜は、滋賀の娘の家で寝た。

 朝が心地よい。近江富士が目の前で、道路の車は多いが、周りの田圃が空気を浄化してくれる。

 昨日まで、保護者について書いたが、今日は当事者だ。

 参観の行事は、孫の育て方についての講演から始まる。講師は女性にしてはざっくばらん過ぎる口調で、耳に馴染まなかったが、中味は濃かった。

 良く視る、良く聴く、無意識が無知を生み、人を人間に育てない。人権をも侵してしまう。等々・・歩行者用信号に新しく黒地に赤と緑の人型が浮かび出すのが設けられ始めた。色覚障害者を配慮した、ユニバーサルデザインだとか・・・収穫が多かった。

1_008  講演がすんで、孫とジジババの手遊びや共同で運動会の小物作り。

 ジジババは5・6年したら。邪魔者扱いにされかねないのに、今のうちとばかり、相好を崩して喜んでいる。

 世の中平和である。

 そして、すし詰め状態の我が町の幼稚園や保育園からみたら、ここの保育環境は幸せである。

 

2007年9月13日 (木)

保護者その2

 保護者との接し方は、こちらの年齢とともに変わっていく。

 新卒の時は、兄さん姉さん、中には伯父叔母さんで、私は言うこと聴かないツッパリ弟か甥で通した。

 その内、同年齢になった保護者が、互いの相談や助け合いの対象になる。

 O小学校で6年を担任していた時、交換授業がうまくいかず、私が家庭科も教えることになった。軍隊で靴下の繕いぐらいはしたが、とても教えるレベルでない。

 にもかかわらず、授業参観に「手提げ袋縫い」を決行した。授業参観は得意教科をするのが常なのに・・・

 案の定、支離滅裂になってきた、その時。N君のお母さんが、つかつかと教壇にきて「先生あかんわ、ちょっと代わって」と、私の手から作りかけの袋を取り上げた。自民党の政権交代よりスムーズだった。子どもたちはベテランのお母さんから正規?の裁縫を習って授業が終わった。

 その時の、子ども・保護者・私がどんな様子だったか覚えがない。なにかとてつもなく自然な流れで、波乱が起きたという記憶は無い。

 その後も、私は家庭科の授業をリタイアしなかった。家庭科があった日は、保護者が家で、授業の結果をチェックしてくれたに違いない。

 やがて、保護者が弟・妹的になる。

 授業参観で今は井戸端会議が始まったり、ケイタイで通話やメールする親が普通と聞くが、昔もまれに、私語する保護者がいた。

 そんな時、ニコニコして「○君のお母さん、今の(児童の)答え、どう思いますか?」と、授業に巻き込んだ。その結果、意地悪だとか苛めだとか告発されなかった。そもそも、授業参観は、親も子どもと一緒に勉強できたらタダの見世物ではなくなる、そう思っていた。

 保護者が子どもの年に近付くと、現場から離れる。

 何が問題だったか忘れたが、血相変えて校長室に押し入ってきたお父さんがいた。

 その勢いの若々しいこと。思わず「お元気ですね~お幾つですか?」と言ってしまった(昔、似たことを俺もしたわい)

 年齢を聞いて又、口が自然に動いた「いやー息子と一緒や!」

 それから両者、大声を上げることなく一件落着。

 教師は先ず、人権を尊重しなければならない。その一線を守って、生の姿で子どもや親と接しするように努めた。苦い思い出が消えずに残っているものはあるが、合計・平均して、幸せに教師生活を終えたと思う。

 

2007年9月12日 (水)

最悪のタイミング

026  以前、親が欲しい物を買ってくれなかったら、デパートの床に転がって手足をバタバタさせ泣き叫ぶ子がいた。最近は、言いなりに親が買い与えるのかそんな子は珍しい。

 さっき、久しぶりに駄々っ子を髣髴させるテレビを見た。

 政敵が話し合いに応じてくれないから・・・外国でエエ格好して引き受けたテロとの戦いの約束が果たせそうにないから・・・私では改革が実行できそうでないから・・・だから、辞める?!

 こんな頼りない坊ちゃんに国の舵取りを任せていたと思うとゾッとする。

 私の言いたいことをニュースで続々報道しているから書かないが、国会を召集し所信表明をしてから、狭心症みたいな辞め方は最悪のタイミングだ。税金の無駄使いをどうしてくれる!

 こんなに突然だったら、ブッシュから首を切られたのかと疑いたくなる。

 これ程、惜しまれずに消える首相は史上初だろう。念仏も唱えたくない。

保護者その1

 久しぶりに図書館で、群ようこ著「世間のドクダミ」を借りた。無性に笑いたかったから・・・・・

 『私が子供のとき、よく「自業自得」という言葉を耳にした。よそ見しながら歩いて電信柱に激突したり、ふざけていて001 ドブにはまったり、学校で先生に怒られたり、私が痛さで泣いたり不満で口をとがらせたりしても、親がいったのは、「自業自得」だった。』

 「世間のドクダミ」の一節だ。

 そうだった! 昔は、我が子が悪いことをして、正しい先生に怒られたら、子どもの自業自得だった。

 今は、子どもを叱った先生の非を追求し、責任をとらせようとするらしい。学校で難癖をつける保護者の、受付窓口をもうけたり対応マニュアルがあるとか聞く。

 よい時代に教師をしたと思う。私は保護者とトラブった経験がない。あったかも知れないが、当時の管理職が楯になって自由を保障してくれた。

 授業を保護者と共同作業でつくり上げた思い出が数々あり、良き時代の保護者にまつわる思い出を書きたい。

 京都市東山区のA小学校、理科「ものの浮き沈み」の授業に8立方cmの鉄とアルミの立方体が欲しかった。金属加工業者の保護者に頼んだら、快く見事な教材を用意してくださった、勿論無償で。私はそれを使って8ミリで教材映画も作った。

 上京区のO小学校、江戸幕府が経済的なデメリットも厭わず、鎖国に踏み切った検証授業で、当時の貨幣価値を、私立中学校の先生だった保護者にお願いしたら、詳細な資料を作って届けてくださった。

 伏見区K小学校、保護者に専業農家が1軒だけあった。私はどうしても、子どもたちに稲刈り体験をさせたく、ダメモトでお願いした。鎌まで用意して迎えてくださった。子ども達が刈り荒らした田んぼの後始末は大変だったと思う。(生活科とか体験学習がなかった頃の話)

 昔の保護者は、子どもの為にという大義名分があったら、教師の無理を通してくれたと思う、教師も大義の為には厚かましくなった。

2007年9月11日 (火)

ショックERⅩⅡ

 NHK衛星第2のTVドラマ「ER(緊急救命室)⑫」が終わった。夢に出そうな心残りなシーンで切れてしまった。アメリカでは現在13が放映されているとか、早く続きが見たい! これで終わったら受信料を払わない。

 私はシーズン1からシーズン9あたりまで欠かさず見ていた。でも、好きなドクターや看護師が次々消えていって、ズルズル見なくなった。

 シーズン12では、ERのスタッフが殆ど代わっていた。しかし、アメリカ社会の変化により密着しているのに改めて驚いた。

 ダフールの難民キャンプでボランティアする医師。イラク紛争で戦死する医師。虐待児や孤独老人の医療をこえ取り組む看護師や医師。スタッフが多民族集団で起こる様々な人間関係。ヤク中の患者や医師。陽の当たる部分より影が多い。でも、ほのぼのとしたユーモアがある。

 私はERを医療ドラマとしては見ていない。大袈裟だが、個のヒューマンドラマであり、医療への問題提起であり、国家を考えるドラマである。

 仲間の戦死した知らせをもって、国防省から来た将校に、ドクターが「この国に誇れるものが二つある、戦争と選挙だ」と、吐き捨てるように叫ぶ。

 そのくせ、重症患者に手当てしながら、昨夜ベッドを共にした異性のことを喋ったり、日本の医療モノではお目にかからぬシーンが一杯ある。

 戦死した夫の葬儀に妻(レジテント)と友人(ドクター)が留守にしている救命室では、脱獄を計画した二人の犯罪者によって大混乱が起きている。部長のルカは犯罪者の脱獄を助ける看護師見習いに筋弛緩剤を打たれて瀕死、臨月の恋人医師アビーは、混沌とした現場で出血して倒れる、その二人に誰も気付かない。

 これが、シーズン12のラストシーンだ。

 そりゃないぜ!

2007年9月10日 (月)

手軽な危うさ

 ブログの記事を書くのに要る資料は簡単に手に入る。本棚の百科事典もパソコンに入っている「マイペディア」も必要ない。

 私はもっぱら検索にグーグル(Google)を使い、それからリンクして目的のホームページにたどり着く。

 JFKの記事に、ボン氏から私の情報蒐集力に過分の褒め言葉があった。が、種明かしをしたら手軽すぎて冷や汗が出る。

 日本野球機構(NPB)オフィシャルサイトにアクセスしたら。セパ両リーグのあらゆるデータが手に入る。

 グーグルで検索していて、何処にでも出てくるのがウィキペディア(Wikipedia)だ。このネット上の無料百科事典の利用者は700万人を超え巨大化を続けているとか。私の記事に数え切れないほど使わせてもらっている。

 マイPCはメモリーが512Mだから、複数のアプリケーションを開いて、手軽に資料に目を通しながら記事が書ける。

 ところが、頭から冷水をかけられる記事が、朝日新聞(asahi.com)にあった。

 「ウィキペディアを複数の省庁が都合のよい修正をしている」 ホント!? 

 066仕組みは分からないが、私の信頼度が確実に下がった。

 手軽なものの恐さを感じる。

 タダで手軽に東京都庁の展望台に上がったが、深く考えるとクワバラ・クワバラである。まあ、杞憂に過ぎないだろうが・・・

5時間10分

 プロ野球のことを書くと、「ダンボ独り言」が、益々オタクっぽくなるので、控えようと思うが、パソコンに向かうと外に書きたいことが無い。

 リーグ優勝争いに千金の重みをもつ阪神巨人三連戦。(東京ドームなので正しくは巨人阪神戦だろうが、トラキチは絶対そうは言わない)

 第1戦は巨人がホームランを乱打したのに、コツコツとヒットを重ねた阪神が最後に1本のホームランで勝利する。

 昨日の第2戦は前半は同窓会で見られなかった。後半からも手に汗握る投手戦、2対1で阪神が勝った。

 今日は第3戦、RYOやYUが昨夜から来ていて、親もトラファンなので、カミサン除く皆が、午後6時にテレビの前に集まった。

 賑やかなのは嬉しい反面、精魂込めるワタシ式観戦には邪魔にもなる。相手ピッチャーやバッターの解説や阪神選手の特徴や現在の調子を説明するが、馬の耳に念仏(ムッ)

 前2回と同じく壮絶な戦いだった。結局、巨人守護神、上原から2点もぎとり、勝ちを確信したのに、こちらの守護神、藤川も1点奪い返されて、辛うじて勝った。

 トイレに立たず、食後の薬を飲むのも忘れ、時に叫んだり足を踏み鳴らしたり、相手攻撃時はソファーで硬直したまま、5時間10分を過ごした。

 勝利の喜びより、疲労で腑抜けになってしまった。

 ホントに狂ってしまったような私だが、私よりも酷い状態の阪神ファンが数十万人いるのは間違いない。

2007年9月 8日 (土)

半世紀過ぎても・・

 年忌法要でも、50年で一応供養を終えたものとする。何事によらず半世紀を過ぎても続けるのは並大抵ではない。

 私が関係する集まりで、50年以上しぶとく続いている同窓会が二つある。

 小学校の同窓会は来年4月に予定されている。

070908_11270001  今日は、昭和25年卒京都師範学校の同窓会が、京都の隣、亀岡市の「楽々荘」で開かれた。

 初め、ぎごちなかったが、過去にタイムスリップするのに、アルコールの助けを借りなくても時間はかからない。あっと言う間に口調が馴れ馴れしくなる。

 しかし、加齢による衰えは参加者全員を覆っている。短時間自己紹介が幹事の勧めで始まったが、出てくる言葉に元気が無い。

 「アルツハイマーの薬をのんでいる」「1日する事が無くボーと」「入退院を繰り返している」「耳が遠い」「目がかすむ」「足が痛い」

 私に順番が回ってきたので「現在狂っているのは阪神タイガースの応援、はまっているのは去年の11月に開設したブログ」と、身体の事は一切いわなかった、阪神については反応があったが、ブログは全然ウケなかった。お一人だけURLを聞かれたのでホッとした。

 景気の悪い老人の集まりのようだが、亀岡までJRに乗ってでもやって来る元気ある人達だ。オリンピックではないが参加することに大きな意義がある。

 阪神タイガース堂々の首位。今夜は孫達も一緒にテレビの前で応援した。 

2007年9月 7日 (金)

天狗より悟空

 天狗は彦一に「かくれみの」を騙し取られたが、きっと予備を持っているに違いない。

 透明人間になれるという超能力は、若い頃夢に見るほど手に入れたかった。この願望には間違いなく卑猥な要素がある。

 しかし、枯れ葉ゾーンに入ると、身体から抜いた毛に息を吹きかけ分身がつくれる悟空に憬れる。

Photo  今がそうだ、今シーズンの天王山、阪神・巨人戦がテレビで見られる。ご丁寧にNHKhiと10chの2局が流している。集中して見たい!念力を送りながら見たい!

 でも、今夜は明日の予定の為に夜更かしは出来ない。だから、この記事も同時に書いている。

 嗚呼!悟空ならテレビ見るダンボ、ブログ書くダンボに別れるだろう。

 欲をいえば、家事用ダンボも作って夕飯の片付けもさせたい。

 阪神好調は、確実に私の24時間から4時間を天引きしている。視聴率が稼げるとなったら、放送局はキー局の放送が終わっても地方局が引き継いで放送するので、ゲームセットまで目が離せない。勝ったらスポーツニュースのハシゴで喜びを反芻する。 阪神応援用ダンボは絶対必要だ。

 でも、頭髪も腋毛も哀れに薄いし、脛の毛はとっくにないし、分身にどこの毛を使おうかな?

 よくよく考えると、リアルダンボは分身を残して家出するかも知れないな。

2007年9月 6日 (木)

6回までのスコアボード

 アンチ阪神ファンが読んだらテロリストを雇って抹殺したいと思うかもしれないが、今の、阪神甲子園球場のスコアボードは6回までで充分だ。

 6回が終わった時点で、タイガースが反撃を断念するほどリードされていたら当然負け。(稀に7点差をひっくり返す奇跡も起こすが・・)監督は7~9回を消化試合のように、肩慣らしや場慣れさせたいピッチャーを登板させる。

001  同点若しくは1・2点のリードなら勝敗は分からないし、電光掲示板を9回までに広げたらよい。

 タイガースに1・2点とられていたら99%勝ち目は無い。もう、相手はギブアップだ。

 それ程タイガースの中継ぎと抑えのピッチャーが完璧だ。

 野球ファンでなくても、JFKは何かで知っている筈。

 ジェフ・ウィリアムスの、防御率=0.15

 藤川球児の、防御率=0.79

 久保田智之の、防御率=1.73

 セリーグで優勝争いしている巨人中日のピッチャーで防御率が0点台は勿論いないし、1点台が巨人上原の1.51と、中日岩瀬の1.96しかいない。

 防御率といっても、ピンとこない。でも、「2007年度選手一覧」で調べたら、脳味噌が感電した。

 ジェフの場合。52回登板して214人のバッターと勝負した。そして、とられた点が3点なのだ。214人は高校生でも大学生でもない、億のつく年俸もとるプロのバッターなのだ。

 JHKの中で防御率最低の久保田のデータも驚く、74回も出て、368人と対戦している、失点20。でも、自分に責任のある点は17点しかない。

 巨人のクローザー上原が、44試合にしか登板せず、177人のバッターから8点しか点を取られていないが、阪神の守護神三本柱と比べると霞んでしまう。

 藤川球児は昨日は珍しく失点した。やっと、人間だな~と思わせるほど別格の存在だ。

 長年、阪神ファンを続けてきたが、意外性のあるチームだから好きだった。今年も順位がリーグ最低付近から、アッという間に首位巨人の背中を掴める位置にきた。

 意外性も結構だが、阪神のリリーフピッチャーは定番がベストだ。

 

2007年9月 5日 (水)

男の家事

 私は昭和一桁生まれだが、家事をすることに何の抵抗も無い。昔の子どもは、塾に行かせて貰えず家事を手伝わされた。

 洗濯は記憶に無いが、廊下を四つん這いになり、雑巾で拭いた。日曜毎に、家族全員の靴磨きは末っ子の私の役目だった。コロッケを握ったり、フライの衣付けも経験した。

 軍隊では洗濯や針仕事をしなければ、上官に「服装がたるんどる」と殴られる。

 共働きが長かったので、比率にすると少ないが、あらゆる家事を分担してこなした。

 管理職時代は免除されていた家事が、定年退職で復活。男の料理教室に通って腕を磨いた。

 何が起こるか分からぬ世、自分が望まず、やもおになっても、基礎的生活力として、衣食住は自立する!私のポリシーだ。

 現在は、厨房に立つのは90%私。しているうちに、料理も創造だと思う時がある。

 先日、茶碗1杯の冷ご飯があったので、「中華粥」にした。コンソメスープに千切りのニンジンとニラをご飯と一緒に入れて煮た。できた時、閃いた冷蔵庫にしば漬けもあったっけ!京都東山の「ニシダや」のは、シャキシャキしている。みじん切りにして放り込んだ、言うことナシ。

 香港で食べた粥より旨かった。

 今朝は、冷蔵庫にゴーヤの残りがあった。5ミリの輪切りをごま油で炒める。これだけじゃ芸がない、ゴーヤのへたとニラ3本のみじん切りをチンして002 冷まし、塩コショウした溶き卵と混ぜて、炒めたゴーヤの中心にスプーンで入れる、蓋をして蒸し焼きにしたのが写真。

 チョッと不細工だが、味は合格点がつけられた。(自画自賛?)

 ゴーヤは野菜カレーに入れても他の野菜と協力して味を引き立ててくれた。

 どうせ料理をするのなら、楽しみながらするに限る。

2007年9月 4日 (火)

ケイタイ依存症

 昨日、mayaさんのコメントに返事してから、本気でTV受信を工夫していないことに気付いた。早速、アンテナを立てて家をウロウロ。受けられるポイントを幾つか見つけた。

 寝床に横たわってから、試しにチューナーを起動したら、何と!NHK・朝日・毎日・関西・読売と全チャンネルが見える、チョッと感動。

002  家で使わなくても、外出して阪神の試合経過が見られるとなったら、携帯の投資は全然惜しくない。

 新機種で最も有難いのは、内蔵辞書だ。分からない英単語もカナ言葉も一発で解決。電子辞書が日陰者になった。

 朗読ボランティアの為に、ストップウオッチやカウントダウンタイマーも嬉しい。

 データ転送してもらったから、アドレス帳もスケジュール表もフル活用。予定を聞かれてもケイタイが無かったら答えられないのは以前のまま。

 それにしても、最近のTVドラマはケイタイが無かったら進行しない。中にはケイタイがあるのに!と矛盾だらけの展開もあるが、昨夜の「ファーストキス」の使い方は演技も一緒にして秀逸と思った。

 美緒が結城先生への想いを断ち切るシーン、躊躇いながらアドレス帳から先生のを削除する・・・(これは今までも使われた覚えがある)

 空港でどうしようもなく、別れが辛い美緒は接続していないケイタイを耳に当て、結城先生に本音の別れの言葉を喋る。ホロッときた。あれが公衆電話だったら違和感があるだろう。

 ケイタイのインターネット機能は未だ未開拓の世界。益々ケイタイを肌身から離さないだろう。

 カミサンより身近な存在かも知れない。

2007年9月 3日 (月)

改装内閣

 改造=造りかえること。改装=模様がえすること。早速、携帯のモバイル事典で調べた。

 安部内閣に呆れ果てたからである。大体、新内閣発足時に「此れで参院選の失点をカバーする」とか「党勢を回復する」とかの言葉は聞いたと思う。国民向けのコメントがあったのか、なかったのか?

 これでは、選挙の敗北を国民がもたらしたと認識しているかどうか疑わ6_003 しい。日光猿軍団より反省が無い。

 それにしても、お粗末な改装だった。

 曰くつきの農水相の首の飛び方が早すぎる。

 任命されて「農水相だけは、やりたくなかった」と口走る、升添氏並の豪傑だと思っていたのに・・・・

 きっと、農協の親分で太っ腹、部下に大判振る舞いする好人物だったと想像する。でも、政治家に不可欠(ホントは不必要かも?)な清潔さが欠けていた、公私混同する卑しさから墓穴を掘った。

 それにしても、改装の施工責任者は、何の責任も感じないのかな?

 任免権もなく、与えられた人事で勤めた管理職。一国の宰相と比べようはないが、部下の不始末の責任は一身に被り、いざという時は辞職を覚悟していた。

 多分、内閣総理大臣というのは「超倫理的」「超法規的」存在なんでしょうね。それとも、清廉潔白な人物が総理の知る限りないから責任のとりようがないので???????

 手抜き改装内閣でも結構、官僚に命じて国民に視点を当てた行政をさせてくださいな。

 ※皮肉で写真を添付した。

 

 

2007年9月 2日 (日)

日曜の昼食

 昼、三日前「これ買ってこようか」と、カミサンが見せたチラシを思い出した。ほかほか亭の『まつたけ御膳』

 カミサンの「買ってこようか」は「買ってきて」と同義語だ。

 ほか弁は何年か前に「のり弁当」で値段の割りにはイケると思ったし、秋の味覚云々のチラシの文句に好奇心もあった。

 店が近くにあると思い自転車で走ったが思い違いだった。気をとり直し、坂を上がり下り、又上がって、ほかほか亭に着いた。

 旨い・安い・早いがウリだと思っていたのに「注文が混んでいて20分ほどか かります」・・・バカバカしくなった。隣はセブンイレブンだ、コンビニ弁当に切り替えるつもりでカミサンに携帯で連絡した。

 「折角行ったんやし、勿体ない」 嘉田さんの口から出なくても「勿体ない」には威力がある。

 店先に坐わり、従業員や客、店の作りや飾りつけを観察し、新しい携帯で遊んでいる内に出来た。2つで1360円、ここでは高級品だ。

 朝、庭仕事をしていたので、帰りが辛かった。呼吸困難、電動アシスト自転車でなかったら、どうなっていたか?

 家に入っても、食欲が失せていたので、離れで休んでいた。

Photo  先に食べたカミサン曰く「たいしたこと無かった」・・・当たり前でしょ!料亭で薄く削いだ一切れの松茸と変わらない値段の弁当だ。カミサンの物指しは、何年経っても理解できない。

 食べてみたが、想像以上に期待外れだった。

  

 

2007年9月 1日 (土)

続・ミクロ感動

 先月、一緒に天麩羅を食べに行った二女の携帯でプロ野球中継を見せてもらった時から、ウズウズしていた。

 3年以上経ったら時代遅れ、私の携帯ではサイズの大きいファイルは受けられない。娘が新機種でRYOやYUの写真やムービーを送ってくれても、カミサンの携帯にだけ入る。指を咥えてみるしかない。そのカミサン何遍教えてもメールの開き方を覚えないから厄介だ。

 「ワンセグが見えるポイントは少ないです。でも、この機種は防水がついているので、私もこれにしました。」

003  ショップの店長の言葉に即決。ポイントや各種割引で1万2000円を切った。

 15分ぐらいで、機種変更が出来たのも驚きだった。

 やれやれ、この間のDVDレコーダーもマスターしていないのに、又マニュアル地獄に落ちた。カミサン冷ややかに「アンタも好きね~」と、ドリフターズみたいなことを言うが「一応使いこなしてるやろ!」と反撃。

 パッと触っただけでも感動のネタがある。「待ち受け画面にニュースが流れる」これ、通信料も情報料も要らない。次に「辞書がついている」英和・和英・国語・とっさのひとこと・冠婚葬祭マナー辞典。

 使ってみたが、結構実用に耐える。漢字を忘れた時携帯の厄介になったが、益々便利になった。

 触れば触るほど感激するだろうが、疲れて寝込んでしまいそうだ。

 どこまで、携帯は進化を遂げるのだ! エエ加減にせ~~~

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