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2007年8月

2007年8月31日 (金)

ミクロ感動

 カミサン貰ったばかりの薬を(3割負担)失くした。仕方なく2週間分を貰いに行く。

 車で20分、アッシー(私)は行く病院のロビー(?)にパソコンがあって退屈しないから、以前ほど文句は言わない。この病院何でも整っていてホテルみたい。

001  トイレに入り便器の前で好奇心がピクッ。「炎のマークに当てると色が変わります」のプレートがある。便器の中央やや下寄りにマークがあり、初対面ながら気持ちは複雑。

 勿論、何を当てるかは分かっているが、最近は昔のように勢いがなく、垂直に落ちる。

 指示通り、出来る限り便器に身を寄せ、手を添えて目標に放水した。辛うじて命中したら炎が黒くなった。成る程、消火作業終了か!

 相田みつおの言葉「感動とは感じて動くこと」を思い出し、携帯でパシャ。入ってきた中年男性に睨まれた。

 帰ってからネットで調べたら、この変色シールを初めて日本で使ったのは関西国際空港だとか、それにしては普及が遅い。

 カミサンの不注意のつけは、全額私費7000円強で決着がつく。3割負担でも保険の有難さが身に沁みる。

2007年8月30日 (木)

エライ時代

 エライは偉人や偉大の偉いではない。関西の「エライこっちゃ」のエライで大変・酷い・尋常でないの意味や、「エライな~」の、しんどい草臥れるの意味や、「エライとこで会いましたな~」の思いがけないという意味のエライだ。

 昨夜11時、パソコンを終了しかけたらメールが入っていた。発信者は「ランキンGYAO」無料動画配信サービスからだ。

 開いてみると、ランキング2位に「華氏911」があるではないか!

 見逃した映画、芸術作品ならPCで観ないが、ドギュメンタリーだ。2時間を越えるが・・・エィままよ・・・

 映画が始まったら、驚きの連続だった。2000年大統領選、ゴア優勢をひっくり返したブッシュの汚い手。人気低迷したら執務しないで遊びまくる大統領。911の同時多発テロ勃発時の、ブッシュの無能ぶり。父子共にサウジアラビアのラーディン一族と深い関係があり、テロの後、飛行機での移動を禁止されたアメリカから、特別にサウジアラビアの一族を自家用機で脱出させたとか?中東のオイルマネーが支えるアメリカ経済、その利権に群がる政治家や企業。

 米政治家の情報操作や捏造や規制や隠蔽、企業との結び付き汚職の数々が本当なら、我が日の本の宰相なんか小さい小さい。汚い金にまみれた取り巻き議員も堂々と胸を張ればよい。

 理由も曖昧なイラク攻撃。「自分の魂を亡くさなくては人を殺せない」という良心的なのから「イヤホンでイカス音楽を聴き、ノリまくってイラク人を殺している」と嘯く怪物まで、イラク派遣アメリカ兵の様々。

 マイケル・ムーア監督は、議員にインタビューする。

「議員(確か250を越すと思う)の中で子どもを兵士としてイラクに送っているのはたった1名。そのことをどう思いますか?お子さんをイラクに送られたら如何ですか?」大半は逃げていく。

 でも、ムーアさんは幸せだ。気に入らない文化人や政治家を直ぐ抹殺する国にいなくて・・・・・。

 終わったのが午前2時15分。計4時間以上、目薬を指しさしディスプレーと睨みっこしていた。

 エライ時間に、只で、凄い中味の映画が観られるエライ番組に出会って、睡眠不足でエライことになって、エラ(疲れた)かった。

 ホントにエライ時代だ。

2007年8月29日 (水)

どうなるカセット

 今日は1月21日にも記事にしたダビング当番だった。完成した、マザーテープを約60本ダビングし配送する。

 ボランティアの代表から「今月からリスナーに配るテープはニューテープを使って下さい。」とお達しがあった。

 手間的・時間的には大助かり、返された使用済みテープのシールを剥がし、磁気を消し、点検する必要が無く、いきなりダビング機にセットできる。

 でも、それはボランティアへの公的補助がテープの現物支給で、使わなければ在庫超過になるかららしい。何か、勿体ない。

003  カセットテープは1962年、開発したフィリップス社が特許を無償公開したので、世界中に広まり民生用の磁気記憶媒体の主流となった。

 使われなくても、カセットテープが1本も無い家庭はないのでは・・? 

 だから、我々のように、朗読ボランティアもメディアはカセットテープでサービスを続けている。

 しかし、ピンチは確実に迫っている。カセット用録音デッキは電気店に出ていないし。高速ダビング機も日本で製造中止になったとのこと。安価で子どもでも年寄りでも扱いやすいコンパクトカセットを、みすみすゴミにしてしまうのだろうか?

Photo  時代の波には逆らえず、今年から、保存するテープをコンパクトディスクに切り替えた。写真の右端の時代遅れのパソコンで、テープのデータを取り込み、デジタルに変換し圧縮してCDに焼く。

 PCに慣れた私が試行錯誤する難作業に、習熟している女性、挑戦する女性。時代の進化を追いかける姿に参った!

 

 

2007年8月28日 (火)

ありきたり

 私が「ありきたり」という言葉にこだわり始めたのは、25年も前のTVドラマを観てからだ。

 それは、山田太一作の「青春スケッチブック」。ありきたりと正反対の人生を送ってきた設定で、名優山崎努の台詞に痺れた。

 昨日、Chikoさんから、武藤君のCDを返してもらった。社協でテープ編集中だったので、CDと一緒に頂いたプレゼントを見ずに家に持って帰った。

005  貸したCDはサイズピッタリの紙袋に入ってたが、ミヤザキエアポートのもので、シールも同じものだ。おまけに、話題性に富んだボールペンが添えてある。それと、ブログで読んだからと、祇園の久楽禅から売り出しているルイボス茶も入っていた。

 フッと「ありきたりでないな~」と、思う。普段のChikoさんを知っているから驚きはしないが・・・・決して!貰ったからゴマを擂っているわけでない。

 ぶろぐ開設300日

 アクセス総数 10193件。 1日平均 33.98件。

 コメント総数 233件

 1日最高アクセスは2007/6/6に189件。 曜日でみると水曜日、午後9  時~12時が多い。

 残念ながら、リピート率は 7.5% (飲食店なら倒産しているところ)

 不思議なつながりを今後とも大切にしたい。

 

 

2007年8月27日 (月)

ラストシーン

 寝る前に「1日分寿命が減った」と思う。死から遠ざかる生はなく生物全てに平等である。

 でも、こんな言葉だけで平気なのは、差し当たって命を奪う病も、身の危険も自覚しないからだ。

 余命を告知されたり、紛争地域で暮らす人達にとっては、時の流れは推し量れない程、切実で貴重だろう。

 先日、フランソワ・オゾン監督/脚本の「ぼくを葬る(おくる)」をDVDで見た。

 私には佳作か駄作か判別がつかない。主人公の行動が理解を越えるからだ。

 パリに住む31歳のフォトグラファー、絶頂期に突然余命3ヶ月を宣告される。怒り・哀しみ・絶望から抜け出し(余りにも早く)、父母や姉、ゲイの恋人にも告げず一人で死に立ち向かう。血縁では唯一告白した祖母に「何故私だけに話したの?」と尋ねられて「後、そんなに生きられないから」と答える。 彼が残したものがある。夫に障害があり子どもに恵まれない夫婦に頼まれ、3人でベッドイン。妊娠が分かり、全財産を生まれる子に贈る旨の遺言状を夫婦の前で作る。

 「こんな事できるか~~~~」 正直、反感を覚えるが畏敬の念ももってしまう。フランソワ・オゾン監督の力量だろうか?

 問題は、ラストシーンだ。若し、このブログで観る気になった方のために書かないが、私が何時までも覚えている「ペペル・モコ(望郷)」「第三の男」「シェーン」「男と女」等、忘れ得ぬラストシーンの名作に加わった。ある意味でショッキング、投げられたものを自分で始末しなければならない。

2007年8月26日 (日)

古刹と老舗

 京都には何百年の歴史をもつ寺や料理屋が方々にある。今日は、その二つを訪ねた。

010 023  義姉の忌明け法要、場所は大徳寺の聚光院だった。

 先々代の住職と親父やお袋が昵懇だったので、檀家の端に加えてもらい、何回か寺を使わせてもらっている。

 本堂の襖絵は、大きく新聞記事になった狩野永徳作の国宝だ。デジタルコピーされ本物ではない。(本物は京都博物館で保管)コピーを初めて目にしたが、少し美しくなったかな~と感じるだけで全く真偽の判別はつかない。

 法要の間、この猛暑に汗もかかなかった。軒の深さ、天井の高さ、部屋の広さに風通しの良さ、寺院建築の贅沢さを体感できた。

047  精進落しの席は、大徳寺一久。一休禅師から名前をもらったとかで、HPで見ると聚光院より歴史が古い。

 ここの精進料理は、見掛けや食感を魚肉に似せた、らしくない精進料理は一品もない。見るからに精進で、味付けも賛否が分かれるだろう。しかし、以前のように極めて個性的な味や盛り付けが影をひそめている、全国各地からの観光客を意識したのか・・・? 

 どれも普段味わえぬ新鮮さがあり、美味しく残さず平らげた。

 今時の季節は、椀物に松茸が入っている。何時もは口に入らぬ腹癒せにバカにする食材だが正直旨かった。

 

2007年8月25日 (土)

茶・・連想

 5時過ぎ目覚める、冷蔵庫から冷たい茶を出して一口。  マ~ズ~イ~

 茶葉はアフリカの高地が育んだという「ルイボス茶」、RYOもYUも好きで買い置きしてある、普段は美味しい。

 あまりの不味さに寝床に戻らず居間のソファーでボンヤリ過ごした。

 その内、脈絡なく「茶」の思い出が湧いてきた。

 山城地方の当地では、ホントに美味しい茶をご馳走になることがある。

 旧村のお宅を訪ねると、作業着に軽トラで走り回っているご主人が、無造作に茶筒から松葉のような玉露を掴み出して急須に入れ湯を注ぐ。茶を知り尽くしている人だから簡単に淹れたようでも、トロ~っとした茶の旨みは舌の上で何時までも転がっている。そして、何煎も味が変わらない。

006  茶葉をたっぷり使い、適温に冷ました湯で、ゆったりと時間をかけて淹れたら美味しいお茶は口に出来る。と原理原則は分かっていても、死んだ親父の茶の味を、まだ越せない。私がTVドラマ「夫婦道」に惹かれたのは、経験と重なる部分があったからだ。親父の煎茶のお手前に小学生から付き合わされた。

 育った我が家には抹茶が何時もあった、難しい作法抜きで日常の中で味わっていたし、試験勉強中眠気覚ましに手の平に取って舐めてもいた。

 お袋が、一口で口に入る5円(当時の5円は今の5000円か?)の食べ物は海苔。贅沢はお茶。と言ったのを覚えているが、毎日欠かさず消費する茶葉に極上を使えたら最高の贅沢かも知れない。

 4歳のYUは、蜂蜜入りルイボス茶が好きだ。コンビにでもサーティワンでも、アイスは必ず抹茶アイスを欲しがる。YUはお茶、それも番茶の似合う顔をしている。

 中国で、トルコで、タイで、ヨーロッパのあちこちで、茶を飲んでみたが、味覚は保守的。私は日本茶、それも身分相応、「雁がね」あたりを氷で淹れて飲むのが最高だ。

2007年8月24日 (金)

何でも見てやった

 阪神が中日に大差をつけられているので、ファンの風上におけない行為だが早々に見限った。対ヤクルトのように7点差を引っ繰り返すのは中日には奇跡だから・・・

 と言うのも、世界競泳2007の決勝が次々放映されているからだ。競泳といっても知っている選手は北島康介ぐらいで、はっきり言って日本の選手が幾つぐらいメダルを取るかぐらいの興味しかなかった。

 選手の名前は知らなくてもレースが始まると力が入る。

 特に金をとった、男子100mバタフライ、女子800m自由型、男子400mメドレーリレーの時は思わず声を出していた。北島康介はこれで3冠を獲得、低迷していた時と顔つきが変わっている。

 日本は、メドレーでは背泳ぎ平泳ぎまではリードしていても、バタとフリーで追いつかれ追い越されるのが普通だったのに、最近は差が詰められることなくゴールする、変わったものだ。

 競技を終えた選手達は、全力を尽くした喜びを素直に爆発させる若者の顔で、昔みかけたストイックな表情はない。

 にもかかわらず、見ている私達はメダルにこだわる。どうして、スポーツの国際試合となったら、多くが愛国者に変身するのだろう?

011  切り替えたチャンネルで、世界陸上前夜祭をしていた。アトラクションで、キングだったカールルイスが、かつてのオリンピックメダリスト2人と100m走をして惨敗していた。ギャラを奮発してもらったのだろうが、過去の栄光に囚われず勇気あるレースをした。国家と切り離したスポーツ(スポーツといえるかどうかは疑問だが)を楽しめた。

 阪神は1対7で負けている、プロ野球は民放で見るのに限る。公共放送はどうも熱が入らない。

 今夜、我が家のテレビはスポーツ専門チャンネルだ。

 

2007年8月23日 (木)

遂に突破!

 昨夜のブログに「渇望」を投稿した途端。明け方に待望の雨が激しく降っ001 た。庭に百日紅の花が無残に叩きつけられたが。猛暑は緩み日中エアコンのスイッチを入れなかった。

そして、遂に突破した

 先ほどココログにログインし、アクセス解析を見たら「ダンボ独り言」へのアクセス総数が10001件 1日平均33.9となっていた。

 ブログ開設から295日目にして、1万アクセスを突破したことになる。

 1週間に十数十万件のアクセスがある「きっこのブログ」みたいな人気ブログと比べたら物の数ではないが、私の正体をご存知の方だけでなく、全国47都道府県全てからアクセスする方がいて、拙文を読んでもらっていると思うと不思議で仮想現実であっても何かの繋がりを感じる。

 この不思議な魅力をしぶとく探ってみたい。

 大それたことは考えないが、出来るだけ生きる喜びが感じられるテーマを見つけて発信し続けたい。

2007年8月22日 (水)

渇望

001  我が町に雨が降らない。毎日庭に水を撒きながら、水道代が嵩むのを気にしている。それより今は潤沢に使える水が不足し、給水制限などにならないか気がかりだ。

 天気予報では、所によりにわか雨と出ているし、5キロと離れていない場所で、豪雨が降っていると聞くが、こちらは雨雲が避けて通る。

 ついタイトルに渇望と書いてしまった。

 今日も夕方、東の空は写真のようで期待というより雨を確信した。ところがどうだ! たった3メートルと離れていない川を隔てた道が濡れているのに、こちら側は乾いている.。 昔、京都の嵯峨に住んでいた時、通り雨に合い身体の右半分だけ濡れた経験があるが、それを思い出した。

 結局、申し訳程度に地面を湿らせただけで、稲妻を光らせ遠雷を聞かせながら雨の神は去っていった。ただ、風は湿り気を帯びて涼しい。

 雨乞いのまじないがあったら教えて欲しい・・・・・・・

2007年8月21日 (火)

癒されるもの二つ

 気が狂いそうなほどの暑さを和らげ癒してくれる二つがある。

 一つは、毎日アクセスし視覚で癒してもらっているブログ。easykyotoさんの「Spice of Life 京の街角」だ。その絵(写真)の美しさは只者ではない。つけられたコメントを見るとプロではなさそうだが、絵から伝わる詩情はプロを凌ぐ。特に8月17日の「奈良おふく寺」には、スチールだけでなく無数の風鈴を音のついたムービーで紹介して、暑さを忘れた。

002  二つ目は写真のCDだ、市販のものではない。演奏者の武藤信行君は、K小学校の教え子。小学生で大きなコンクールの賞を取る腕をもっていたが、淋しがり屋でデリケートな神経をもつ彼の人生は順風満帆ではなかった。ソリストになることなく指導者(世界で活躍する千葉純子氏も指導している)として60歳半ばで急逝した。

 音楽家としては不遇だったかもしれないが、彼は友達には恵まれていた。一昨年の11月、偲ぶ会を彼の大好きだったアルコールを手に手に同級生がささやかに催した。その折、彼の演奏の録音が如何に少ないか知ってみんな愕然とした。

 その数少ない記録を集めた同級生のK.K君。それをCDに焼き印刷して私にプレゼントしてくれた。

 居間でも、カーステレオでも、セットして何時も聴いている。彼を知っているからではない、彼の演奏は一味違う。モーツァルトのアダージョはどんな名演奏家より感動させ癒してくれる。

 

2007年8月20日 (月)

ビール

 下戸の私が夕食でコップ1杯のビールが欲しくなる、それ程の暑さ!酒粕で酔っぱらった親父の遺伝子を取り込んだ身体は、それで充分だ。

3_001  昨日のブログに書いたように一仕事の後、ビールを飲むことにした。

 今夜は一ひねりしてChikoさんお勧めの器にビールを注いだ。京都なちやの漆器、多用コップは食洗にかけても平気というスグレモノだが、果たして透明なガラス器で飲み慣れているビールにマッチするか興味があった。

 確かに違う、唇に触れるカップが冷たくなく、いきなり冷えたビールが口内に流れ込む。木なのでビールも冷えにくい。ガラスとどちらに軍配を上げるかと聞かれたら首を傾げるが、違った感覚で飲めるのは確かだ。

 こんな私が、暑さに関係なくビールを飲み続けた時期があった。

 1996年3月25日から2週間のドイツの旅、教え子のTT君がコーディネイトしてくれた。田舎の村に8日間、ミュンヘンに4日間滞在し、あちこちでビールを飲んだ。何しろものによっては水より安いし、地ビールばかりだから味に個性がある。

 特に印象深いのは、ホーフブロイハウスで、日本でいう大ジョッキからしか注文できず、カミサンと二人で平らげるのに苦労したこと。ヴェルテンブルグ修道院でつくっている黒ビールが滅法美味しく飲みすぎ、熟睡したまま宿に運ばれたこと・・・etc

 下戸の私がビールにまつわる数々の思い出がつくれたドイツ。ビール愛飲家は真っ先に行くべき外国だと思う。

2007年8月19日 (日)

恐怖の記憶

 西日本猛暑 熱中症・水難死相次ぐ・・・酷暑が人の命を奪っている。

 朝刊の記事の一つに吸い寄せられた。「水上バイク出動3人救助」鳥取海岸の民宿経営者が、沖に流されていく親子3人を水上バイクで救助した話だ。

 親子が遭難しかけた訳が「離岸流」だった。この流れに乗ってしまった恐ろしさは体験したものでないと分からないだろう。

 約45年前、私は福井県高浜海岸の臨海学校でカナヅチ組の指導をしていた。中・上級組なら、子ども達と潜ったり泳いだり出来るが、初級指導はズッーと海中で立ちっぱなし、休憩になり辛抱できず一人で海に入った。

 泳ぎは得意ではないが、7メートルぐらい素潜りできるし、立ち泳ぎみたいな格好で3時間を海中で過ごしたこともある。

 真っ直ぐ沖に向かって泳いだ私は、振り返って不思議に思った。「オレは何時の間に平泳ぎが上手くなったのだろう?」それほど、岸から遠く離れていた。

 早く帰らなくては休憩時間が終わってしまう! Uターンして1分たたない内にパニックになった。両手両足で力一杯掻いても掻いても岸が近付いてこない、細かい三角波が口や鼻を襲ってくる。「助けて~~~」と叫ぼうとした途端、身体が軽くなり前へ進めた。無我夢中でもがくうちに離岸流から離れたらしい。

 グッタリして岸に上がった私を待ち受けていたのは子ども達の「先生変な顔してたね」と、先輩の「溺れてるのかと思ったぞ」の冷たい言葉だった。追い討ちをかけたのは、「アホか、5メートルほど横に泳いだら簡単に帰れるのに」と熊野灘や熊野川で泳ぎなれている兄のこともなげな言葉だった。

 くらげが多くなって海水浴も終わりだろうが、離岸流にはくれぐれもご用心。

2_008 朝から地蔵盆準備の仕上げ、ご詠歌をあげてもらう。

 この地域は時流に乗らず、多子高齢化だ。地蔵盆には近隣の自治会が羨むほどの子ども達が群がってくる、後片付けが大変だ。老人会も6時集合がかかっている、一汗かいてビールでも飲もう。

2007年8月18日 (土)

束の間の涼

 爽やかに目覚めた、タオルケット1枚で暑くなく寒くなく朝の冷気が目覚ましになった。

 我が家は木製の雨戸をルーバーにしている。リフォームに入った大工さんが「今時こんな雨戸はありませんから捨ててはいけません。」と言ってくれた。

001 この雨戸、熱帯夜に威力を発揮する。雨戸を閉め、ガラス戸を開け放したままで寝られる。夕方庭に打ち水をして涼風が部屋に入ってくるからエアコン不要になる夜が多い。

 今朝、余りにも心地よかったので雨戸にさす朝日を撮った。

 涼を感じたのは束の間だった。RYOとYUが帰った我が家を元に戻す作業がある。

  機械でもバテるほど暑かったり、10分と間をおかず開け閉めしたり、大量の食品を詰め込んで性能の低下した冷蔵庫を復旧させる仕事。テレビのパネルについた手形をセーム革でふき取る作業。水や花火で遊んだ後の始末・・・・連日と変わらぬ暑い暮らしが展開した。

 004それに、地蔵盆の準備に午後4時集合。老人会は、祭壇を作りお地蔵さんを会場に安置するのが役目だ。汗をかかない程度の労働だが暑さは増した。

 間違いなく涼を感じるには、やっぱりエアコンの助けが要る。嗚呼

2007年8月17日 (金)

茹だる

007  2階の書斎に架かっている温度&湿度計だ。乾燥していたら、体感温度が下がるという定説にも限界があるらしい。

 さっき、RYOとYUが滋賀に帰った。淋しいが彼等の甲高い声が感覚的に気温を押し上げていた。カミサンと二人では騰がる要素は何もない。

 茹だる暑さに食欲も落ちる。でも、昨夜新しい発見を・・・

 行儀が悪いと自制していたのに「猫マンマ」がある。ご飯にお茶をかけるのは許されて、味噌汁をかけて食べたら猫の食事を連想して良くないなんて、何時誰が決めたのか!

 今時そんな餌を食べているのは野良猫でもいないだろう。この暑さだ既成概念に囚われることはない。

 冷蔵庫に入っていた「冷やご飯」に、同じく冷蔵庫で保存していた「味噌005 汁」をぶっかけた。ご丁寧に、それに製氷室の氷も載せた。『冷やし猫マンマ』完成・・・・完成というほどの代物ではないが、私の概念破りに、そう言いたいほど旨かった。食欲回復! ドンブリ一杯平らげた。

 そんなこと知らなかったの?!と軽蔑されるかも知れないが。未経験の方に是非勧めたい一品である。

2007年8月16日 (木)

閉鎖一周年

 『ダンボ掲示板の皆様へ  2006/8/16

 荒れ野に掲示板が立っています。見るものが有るのか無いのか誰も分かりません。昔は毎日のように新鮮なチラシが掲げてあって、それに、すかさず同意・反論・意見が貼られました。でも、最近では、ホンの稀にメッセージの貼られる古びた板になりました。こんな不様にしてしまったのは、立てた人間の独り善がりの甘え心にあります。そして、時のせいでもあります。

 この世の一切は変転し不変や常なるものなどない。(中略)ダンボの皆さん長い間掲示板を支えて下さって有り難う。家の仏壇に来ていた先祖の魂が冥土に帰る今日、掲示板も冥土に送りますので宜しくお願いします。』

 1年前、私の知り合いを軸につくっていたメル友の会「ダンボ掲示板」解散のメッセージだ。

 この会で、5000件以上のメールが飛び交ったのは記録の一部に残っているが、メンバーが何人だったか、オフ会を何回何処でしたか、何年続いたか?記録したパソコンにトラブルが2回起こってしまって分からない。

 閉鎖の理由はメッセージに書いただけではない。卒業生から貰った5年日記も大いに関係している。閉鎖後、2ヵ月半で、このブログを開設した。理由は「開設しました」に載せている。

002  4月末、フェンスを改修するため、道にあった自慢のレンギョウを根から切り倒して貰った。残念だった!それが今、芽吹いている。新しい庭木に成長させることにする。ダンボ掲示板を「ダンボ独り言」に転身させたように・・・

2007年8月15日 (水)

生きられて幸せ

 003 庭のヒマワリがゴッホの描く花同然になった。62回目の敗戦記念日を象徴しているようだ。

 でも、今日は私が生涯最高の歓喜を味わった日だ。

 62年前の昼、柳井の海軍潜水学校にいた私は、整列して玉音放送なるものを聞いた。雑音が多く途切れ途切れの天皇の声では訳が分からなかったが、戦争の終わったことは理解できた。

 分かった瞬間の嬉しさ以上のものに、未だ遭遇していない。この年だから、もう無いだろう。

 皆の手前、顔では負けたことへの悔しさをつくっているが。内心は小躍りせんばかりだった、周りも同じだったと思う。何故なら半日たたないうちに、誰もが家に帰る話をしていたから。

 特攻訓練生の私達は、「消耗品」と古参の兵から呼ばれていた。消滅しないで生き残れた喜びを秘かに爆発させた。

 生存本能は国の大義に優る。

 この時に、「生きられるだけで幸せなんだ。」が私の中で生まれた。62年目を迎えても、色褪せていない。

 

2007年8月14日 (火)

家庭内別居

 居心地のよい離れが出来て居住選択の幅が広がった。自分の望む場所と時間が確保できる。

 折りしも、最近のタイガースはヤケに調子がいい。甲子園球場を高校野球に明け渡し全国を転々とするタイガースは、この死のロードでガタッと順位が落ちるのが常である。

 それが、快進撃を続けるのだから放っておけない。テレビ中継があったら、必ず応援しながら最後まで見る。テレビ中継がなかったら、パソコンを阪神タイガース公式ホームページにつないで経過を見ている。

 野球に興味のないカミサンは当然蚊帳の外。テレビが見たかったらどこかで見ているし、寝たかったら寝ている。

 タイガースのお陰で家庭内別居が多くなった。

 今夜も娘二家族が居たが、中継が始まったら「父ちゃん野球見る!」と宣008言した。

 タイガースが得点した時の姿勢を記憶し攻撃の時は同じ姿勢で固まって見ている、ファンの心理は分別がない。「そんな真剣に見るスポーツなん?」と言う娘の言葉も耳に入らない。お陰で終盤大量に得点し勝った!

 今日は京都の寺からはるばる棚経をあげに坊さんが来てくれた。魂が身近になる時期、仏さんは主の狂態に呆れているかも????

2007年8月13日 (月)

百日紅・花火

 草を刈った庭に落花激しい。盛りの過ぎた百日紅が、盛んに花を散らして005 いた。傍でマジマジと見ると、なかなか可憐だ、早速接写した。

 我が家の庭で、夏に咲く花木は少ない。この百日紅も、浮き沈みが激しく、チョッとだけお義理に花をつける年もあるが、今年は枝もたわわに咲いている。連日、体温に近い気温の日が続くが、元気な花を見るのは嬉しいものだ。

011  お盆で、孫達がやってきた。夕食後、近くの公園で花火をすると言う、風がやや強く、ロウソクの火が消えるので、家の前の道路わきに変更した。打ち上げ花火は明日という事にし、手持ちの花火を散々燃やした。

 夏らしい夏になった。暑い暑いとウダウダしないで、夏を楽しもう。

2007年8月12日 (日)

なんとか庭に・・

 7月26日に雑草庭園を元の姿に変えようと取り掛かったが作業は捗らない。陽射しの弱い間に、チマチマと部分的に雑草を刈ってきた。

 電動刈り払い機という強い味方を得た昨日・今日で一気に片付いた。とは7_008いっても、庭木の剪定はしていないし、機械で刈った所はどうしても雑になる。でも、そんな贅沢は言ってはおれない。

 庭のビフォアー・アフターを写真に撮って、ケチをつけられないように(誰がケチをつけるか想像に任せる)証拠に残した。

 Photoそれにしても、刈り払い機のナイロン刃はスゴイ!縁石に沿って草を刈れる。以前、高水圧の水で金属や石材を切る場面を見たが、高速で回転するナイロン紐も刃物と同じだと分かった。

 市のシルバー人材センターに草引きを依頼したら、電動刈り払い機が2台買える出費だ。

 家電からPC、ビデオと、機械は抵抗なく取り込んできたが、今回の投資は100点満点の正解だった。

 

2007年8月11日 (土)

落とされたんよ

 今朝の読売新聞コラム「今日のノート」は記憶に残る。

 公開中の映画 ”夕凪の街 桜の国” 原爆症で逝ったヒロインの言葉だった。

 「なんで、原爆は広島に落ちたんやろ」と、つぶやいた弟に、ヒロインの平野皆実が「原爆は落ちたんじゃのうて、落とされたんよ」皆実を演じた麻生久美子は、ゆっくり静かに心に染みいる台詞で告発をしているらしい。

 私は付け加える、「それも、2回!落とされたんよ。」

 「しょうがない」ではない、なぜ落とされたのか、落とされねばならなかったのか。歴史に学び、未来に生かす・・・・コラムニスト 橋本誠司さんの締め括りの言葉も心に染みる。

 昨日の夕方、日中と変わらぬ陽射しのテラス、目の前に蝉が落ちてきた、仰向けで痙攣している。この暑さに寿命を早めたのか?間もなく蟻の餌になるだろうと、そのままにしておいた。

001  今朝、我が目を疑った。蝉が落ちた時と同じ位置で、うつ伏せになっている。生きている???

 半信半疑でそっと触ったら、勢いよく羽音まで立てて飛び去った。正に復活だった・・・・

2007年8月10日 (金)

機械頼み

 庭の草刈りが遅々として進まない。孫が来たり2女が逗留したりして、雑草の為にまとまった時間がとれなかった。

 我が家の草との戦いに使う武器はヘッジトリマーと芝生バリカンの2つだ。両方とも可なり古い型で切れ味が落ちても替え刃がない。

001  鎌で刈ったり手で抜くような余分な体力がないので、昨日とうとう電動刈り払い機を買った。

 陽が傾いた庭で試運転した。説明書では住宅地の使用に適した低騒音とあるが、結構大きい回転音がする、これでは早朝涼しいうちに使えない。

005  しかし、威力は絶大だった。5分そこそこで隅々を残し殆ど刈れた、汗もかかない。

 あ~~  もっと早く買っておけばよかった。

2007年8月 9日 (木)

三原則

 長崎に二発目の原子爆弾が投下されて62年目、今日も猛暑だったが何千度もの劫火に焼かれ、水を求めて死んでいった人達を考えれば何ほどの事はない。

 夜9時のニュースで知った。今年の平和宣言は最初「非核三原則」の法制化を盛り込まなかったという。委員の一人が言っていた「盛り込んでも今の阿部首相は聞く耳持たずで無駄」。

 おやおや、大叔父さんの佐藤栄作が提唱した非核三原則ではなかったのか!佐藤栄作は、そのお陰でノーベル平和賞を受けたではないか。あの時は似つかわしくない人が平和賞を受けるものだと変に思った。

 それが久間防衛大臣の「しょうがない」発言で、田上長崎市長が決断し入れるように変わったらしい。

 「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」 三原則は明快だ。でも、国是としてあるだけで、法でないから拘束力はない。

 私達の選んだ政府が法制化したら、首相だけでなく日本国民全部にノーベル平和賞を呉れていいと思う。

2007年8月 8日 (水)

プロの腕

 2女の誕生日、お祝いを祇園の天麩羅屋さんでするという。二人で、よりも親も自己負担で来たらと誘われた、久しぶりなので誘いに乗った。それに真夏の夜の京都も歩いてみたかった。

 京阪電車を四条で降りて、八坂神社に向かう、デジカメを持ってこなかったのを後悔した。ヤケに外人観光客が多いが、京都ならではの光景が歩くたびに繰り広げられる。

 008建仁寺を抜けて予約した店に着いた。「天ぷら八坂園堂」満席だった。京都の店では、万願寺とうがらし、加茂茄子等、新鮮な京野菜の天麩羅が食 べられる。中でもプロの腕に見惚れたのは写真の稚鮎だった、活け作りのおつくりにはよく会うが、活け揚げ?は初めてだ。

 生きているのは幸せ。美味しいものが食べられて・・・カミサンがしみじみ言った。その言葉に素直に賛同する。例え、カードの請求書で正気に返っても。

2007年8月 7日 (火)

北京の空

 朝刊に、中国政府は来年の北京オリンピック開会式の空を、人口消雨技術で晴れにするとあった。チョッと可笑しくなった、そこまでして国威を世界に示さなくてもいいのに・・・・・

013  チラッと、1936年ベルリンオリンピックを思い出した。アドルフ・ヒトラーが得意満面で、オリンピックをナチスの宣伝に使った。

 北京の大気汚染は世界最悪の状況らしい。オリンピックを招致して中国の後進性を世界に知られてしまったら、中国政府の(本当は北京市の筈だけど)面目は丸潰れだろう。

 1997年に北京空港に降り立った時、驚異的経済発展を遂げる以前にもかかわらず、他国とは違う独特の臭いがした。そして、都市のあちこちで40年前の日本を思い出す光景を目にした。

 今の中国はそのギャップを埋めるのに必死らしい。

 頑張ってくれ!中国の大気を美しくしてもらったら、偏西風の風下にある日本は大助かりだ。オリンピックを契機に中国の国際化が確実に進むだろうし、地球環境の保全に役立つなら有難いことだ。

 アメリカの一部でボイコットの声が挙がっているそうだが、そんなケチをつけないで、世界中で守り立てたらよい。

 オリンピックで使う国費は、軍備に使うのと違って惜しくない。

2007年8月 6日 (月)

父親たちの星条旗

 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を劇場で観て深い感銘を受けたが、それと対になっている「父親たちの星条旗」は観ていなかった。

 先日、遊びに来ている孫達のマンガを借りに、近くのTSUTAYAへ行ったついでに「父親たちの星条旗」を借りて帰った。

 孫の妨害を掻い潜りながらの鑑賞で深くは観られなかったが、改めてアメリカという国の懐の深さを感じた。理由は、このような映画を全国で公開し、アカデミー賞にノミネートしたことである。表現の自由・言論の自由を看板にしているアメリカならではと思う。

 擂鉢山を制圧し頂上に立てられた星条旗の写真にまつわる物語、生き残った3人のヒーローが、底をついたアメリカの戦費を補充する戦時国債の広告塔として利用され戦後は見捨てられる。

 地獄の戦闘で生き残った罪悪感。ヒーローは生きていないと言い、ヒーローなんていない、その時の都合で作られると言う。

 あの写真は、2回目に立てられたもので、その後も死闘が繰り返された。兵士が言う「誰も国の為に戦ってはいない、ともに戦っている仲間の為に戦っているのだ」・・・腸が飛び出す傷を負った兵士の元に駆けつけた衛生兵に「俺は大丈夫!他の仲間のところに行ってやってくれ」と言い息絶える。

 戦争の空しさ、戦争が破壊し破滅させる個人、国家権力の身勝手さ・・・を正面から見つめている

 現在、民主化とテロ撲滅の正義を貫くため、イラクで泥沼のような戦争(敢えて戦争と書く)を続け、若者の命を犠牲にしているアメリカ合衆国だ。

 軍国日本では、反戦はいうに及ばず、厭戦でも厳しく取締りを受けた。アメリカでは、このような映画が偉大な賞の対象になる。原爆を落とした国とのミスマッチを拭い切れない。

2007年8月 5日 (日)

ヒマワリが・・・

 日が翳ってもヒマワリが空に映えているのでカメラを持って外に出た。接001 近して見ると小さなカマキリがしがみついている。ヒマワリの花芯に集まる虫を狙っているのか?いずれにしても一生懸命生きているのだから、そのままカメラに収めた。

 ヒマワリの花言葉は「あこがれ・愛慕・熱愛・情熱・光輝」等、そんな輝かしい花に、ケチをつけるような虫に違和感を感じるが、ヒマワリにまつわる思い出にはカマキリよりもっと不吉なものもある。

 ヒマワリから今日みたいな焦げ付くような暑さを連想する・・・62年前の明日も晴れていて、ヒマワリも太陽も輝いていた。

 当時、私は山口県に居た。海軍潜水学校で特攻兵器「蚊龍」の乗務訓練を受けていた。訓練とは名ばかりで、連日飛来するアメリカの艦載機から逃れ本土決戦に備える横穴堀りが続いていた。

 8月6日、海岸に出た私たちの目に異様なものが映った。北東の空に地上からキノコ型の雲ができていた。我々は、その雲の下で20万人以上の市民が地獄に放り込まれているとも知らず、呑気に話し合っていた。

 ヒマワリに取り付いたカマキリが、忘れてはならないものを思い起こさせてくれた。

2007年8月 4日 (土)

世紀の無駄使い

 我が家には、テレビが6台ある。その内5台は、2011年7月から使えなくなるアナログテレビである。居間のだけはデジタルチューナー内蔵で心配ないが、良く考えると、そのテレビにアナログ放送が見られるように取り付けてあるチューナーは無駄になり、無用の長物となるのだ。

 一体こんな勿体ないことを誰が頼んで誰が決めたのだろう?世の中で数千万台使用されている品物が、ある時点で使えなくなるなんて、大事件であり、莫大な無駄を生み出すことになる!

 私のような年寄りには、昭和21年2月に実施された、ある時期でお金が使えなくなり新しい紙幣に変わった「新円切り替え」を思い起こさせる出来事だ。

 総務省のアナログ放送終了、地上デジタルテレビ放送への切り替えお知らせには、デジタル化のメリットが沢山並べてある。しかし、アナログが駄目とは書いていない。今迄通りの映像で満足する向きには何ら影響はないわけで、とんだ迷惑に過ぎない。

 むきつけには書いていないが、要するに今使っているアナログテレビ電波の周波数帯が安定していて、他の通信に利用価値が高く、それを国に返させることが目的に思えてならない。

 とは言っても、流れを止められないから、私はテレビセットをデジタル化までは買わず、無駄なアナログチューナーのついていない(多分安くなっている)テレビを買うつもりだ。

2007年8月 3日 (金)

叩けない石橋

 「アメリカ・ミネソタ州の高速道路橋崩落」のニュースには、肝を冷やした。どんなに慎重で、石橋を叩いて渡る人でも、こんな道に出くわしたら、為すすべもない、何の疑いもなく走っていたドライバーの恐怖が思いやられる。

 そもそも、高速道路は日本の場合、安全に時間を短縮して走れるのが前提で高い料金を払っているのだから、色々問題の多かった道路公団が民営化されても、橋を渡る時に事故が起きるなど思ってもいない。でも、本当に大丈夫なんだろうな?

 橋と言えば14年前のイギリス旅行、スコットランドをドライブした折、産業革命を偲ばせる鋼材をふんだんに使った頑丈な橋を幾つか渡った。でも、橋によっては慎重に強度を調べたのか、通過する車の重量制限をしていた。安全対策にもイギリス人の頑固を感じた思い出がある。

 我が町の木津川に架かっている橋は、5年前まで不安を感じながら通過した。ダンプカーと一緒だったら、上下に可なり揺れたからである。でも、今や優美で強そうな橋に換えられた。

 現在の日本の橋梁や高架道路の施工は、阪神淡路大震災の教訓を生かし、安全性には信用できると思っている。

 叩きたくても叩けない高速道路をこれからも利用する機会が多い。日本では、アメリカのような事故のないよう頼みたい。

2007年8月 2日 (木)

夏の制服

 暑い!私の住まいは京都盆地から離れているので、蒸し風呂状態にならない地域だった。しかし、最近は地球温暖化のせいか、エアコンの世話にならなかったら、こうして投稿も出来ない室温である。

 この暑さに着るものといえば、もっぱらTシャツ、とに角涼しい。日に数回着替えても洗濯機に負担はかけないし、値段が安いから痛んでも気にならない。

 80歳目前の年で、派手なTシャツは面映いが、逆にTシャツだからと開き直ってお洒落もできる。

 だから、改まった所へ行く以外は、Tシャツが夏の制服になっている。

 Tシャツといえば、海外に旅した時はよく買って帰った、お土産にも重宝した。中でも、1998年にタイで買ったTシャツは現役で、値段的な品質はナンバー1である。日本経済が価格破壊に突入する前、4枚1000円という信じられない値段に飛びついて買ったものだから・・・

T_003 T_002  長持ちは全く期待していなかった。1997年に中国の兵馬俑博物館で買ったTシャツは1000円近くしたのに、あっという間にヘタヘタとなり襟元もイブニングドレス状態になったからである。

 ところが、タイのTシャツは数十回の洗濯にもたえ、襟も確りしているし、何よりも生地に肌に馴染む風合いが出てきた。

 箪笥の引き出しに10枚以上のTシャツが入っているが、私の手はついタイ製にのびてしまう。

2007年8月 1日 (水)

卯辰巳会

 毎日欠かさず投稿しているブログも、メンテナンスには勝てず、1日抜けてしまった。でも、選挙でエキサイトしたから丁度よい休憩になった。

 本日は、現職の時に散々苦労した仲間の集う会だった。昭和一桁卯年と辰年と巳年の仲間で「卯辰巳会」と命名し、退職以来年3回の会食を続けている。

012  最盛期には国内旅行と海外旅行までしていたが、皆さん寄る年波には逆らえず4月・8月・12月の酒宴それも昼の席で妥協している。

 14人でスタートしたがお二人が天国へ旅立たれ、如何にも長生きしそうな個性的メンバーが京都四条大橋近くの料亭へ集まった。

014 013  京料理といえば、ウン万円出さなかったら・・・と二の足を踏むが、何せ、オール年金暮らしで病気持ちの野郎ばかり、そんな贅沢はできない。そんな者でも満足させてくれる場所はいくらでもある。それに、卯辰巳会メンバーは、かつては私を除き「斗酒なお辞せず」の酒豪が揃っていて、旨い酒が出たら文句を言わない、でも、割り勘負けしないように、残さず食べる私の舌を最後のデザートまで喜ばせてくれた。

 飲むほどに食べるほどに、政治から色気話まで論壇風発。確実に5歳は若返って解散できる貴重な集いだ。

 四条大橋の見える座敷からの景色と料理の幾つかでご想像を!

 

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