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2006年12月

2006年12月31日 (日)

日記のままに

ニフティブログで通信障害が起こっているようなので、モブログで送信します、ダブルかも知れません。
遂に大晦日を迎え五年日記も今年最後のページとなった。振り返れば過ぎ去ったことが夢のようで、三人の身内を亡くしても悲しいけど自然の流れの中に受け入れており、人生観を変える事件とはなり得ない。それだけ、みずみずしさが失われ固まっているのかも知れない。 夕方、モトコが夫婦でやって来た。我が家は総勢8人で越年する。
今年は日記をつけ始めたり、ブログをはじめたり自分としては画期的な年かも知れないが、それだけ先送りした事も増えた。来年は良い年でありますように!

日記のまま

 遂に大晦日を迎え、五年日記も今年最後のページとなった。振り返れば過ぎ去ったことが夢のようで、3人の身内を亡くしても悲しいけれど自然の流れの中に受け入れており人生観を変える事件とはなり得ない。それだけ、みずみずしさが失われ固まっているのかも知れない。

夕方、モトコ(2女)が夫婦でやって来て、我が家は総勢8人で越年する。

 今年は、日記をつけ始めたり、ブログを始めたり自分としては画期的な年かもしれないが、それだけ先送りにしている事も増えた。来年は良い年でありますように。

2006年12月30日 (土)

330日

 頂いた日記を付けはじめて330日になります。我ながらしぶとく続いたものだと思います。でも、5年日記の上段が埋まってくると、出来る出来ないは別にして、1年後の2段目にどんな内容が記されるのかと楽しみが生まれました。

 5年日記がきっかけで開設したブログも59日目、2006年の大晦日に60日と限の良い投稿をすることになりました。何事によらず後ろから押してもらうと動き始める私ですが、動き出したら結構根気良い私を、これからも宜しくお願いします。

 5年日記を「真実は書けなくても事実は書ける」という書き出しにしました。その事実は90%以上個人情報で、ブログで公開するには抵抗が多すぎます。だから、ジキルとハイドほどではないけれど、内容が5年日記と遊離しているものが多くなり、嫌な気分になることがあります。

 ジレンマがあっても、乗りかかった船から下りるつもりは無く、2007年も皆様のコンピュータに侵入しますのでお付き合いください。

2006年12月29日 (金)

時間は?

 もう3回寝たらお正月と、童謡みたいに口ずさんで気合を入れようとしても、孫達が手助けのつもりで働いてくれる後片付けや手直しもあって、正月準備のピッチが上がるどころか下がるばか12_006り、焦っています。

 でも、こんな時に買った本が役に立ちました。本川達雄教授によれば、人間は物理的時間ばかりにとらわれている。時間は他に、生物学的間があってよい、という説です。

 生物はサイズによって、生きる物理的時間が変わる、大きい者ほど寿命が長い。しかし、ゾウもネコもネズミも平等に心臓は15億回打って止まるそうです。だから、2年で死ぬネズミも70年生きるゾウも、生物的時間でみれば同じで生き物それぞれに固有の時間があってよい。寿命の長い生き物ほど鼓動や呼吸がゆっくりしていて、動作もゆっくりしている・・・・。

 成る程。その自然の原理原則のようなものを、人間は狂わせているのだな~人間サイズなら、もっとゆったりしていて当然なんでしょう。

 原始人みたいな孫達は、人間リズムの時間で生きているのだから、参考にしてのんびり越年しようと決心しました。

値段相応

 世の中何が腹立たしいかといえば、「高い値段で、悪いものを買わされること」反対に嬉しさが後を引くのが「安くて良いものが手に入ること」 この中間に値段相応の「安くて悪い」や「高くて良い」がありますが、最近取り付けたエアコンが、値段相応と感じます。

 カミサンは、食品や洗濯代などは値段に敏感ですが、電化製品など工業製品の適正価格などには、トンと無頓着ですから、電気屋さんの言いなりに近い買い方をします。私は私で家計から出る分には、良い物が入ればそれに越したことはないと、これまた無責任をですから、2007年型という最新型が居間で運転し始めました。

 確かに違います。パネルに Intelligent Wing と印字されているように、温風の吹き出し角度を12_002 微妙に調節して、他の部屋のエアコンのように「温めてるぞ~」と押し付けがましい暖房をしません。電源OFFにしたら、直ぐにお掃除ロボットが働き始め、カタログデータによると、10年間掃除不要とのこと(それまで生きてるかいな?)値段だけのものはあると、満足しています。

 寒波が襲来したのに、我が物顔に孫達が下着1枚で遊んでいる様子を見ると、値段なりの性能をもたせる日本の工業技術に感心します。

2006年12月27日 (水)

正月のこだわり

 今年も後4日になりました。正月準備として12月の中旬から、念入りな掃除、ガラス拭き、不用品の選別と廃棄等を、年寄り2人でコツコツしてきました。後は、正月用の模様替えと、最後の整理整頓を残すだけ。お節は、暖冬なので30と31日で一気に仕上げます。・・・・・・・

 と、頭に描いていましたが、孫の占領が続くと絵に描いた牡丹餅みたいなものです。片付ける横から散らかす。床の間に着替えが積んである。お節を作るよりも日々の食事の用意と片付けでエネルギーを使い果たす。etc etc ・・・

 元旦・元日といっても365日の内の1日に過ぎないと割り切れば、楽になります。

 でも、やはり1月1日は特別な日にしたいと思います。それは、我が家の文化として伝承したい気持ちがあるからです。子供や孫に、誕生日やクリスマスより重要と、伝えたい行事の一つです。

 私の子供の頃の元日は、常日頃の1日とは、全く違った特別な日でした。1月1日に一つ年をとり成長を祝う儀式的要素がありましたし、そのように親が演出しました。だから、生涯忘れられない日として残りました。

 着物を着せてもらい、普段は気儘のありったけが許された末っ子の私は、末席に座らされ、貰うお年玉も最低額でした。厳然と長幼の序がつけられました。マゾではありませんが。その格差が懐かしいです。

 どれだけ出来るか分かりませんが。来年も子や孫達に、特別な日として印象付ける努力はしてみます。

 

2006年12月26日 (火)

我が家は占領下

 昭和一桁以前の方なら、1945年から1952年まで、日本製の品物総てにMade in Occupide Japan と書いてあったのを記憶されている筈です。占領下で仕方ないといえば仕方がないのですが、やはり、occupideにわだかまりがありました。帝国主義・軍国主義の徹底した教育を受けてきた私は、心の奥に悔しさを抱えていたからだと思います。

 対日平和条約が1952年に締結され、その文字が消えた時はホッとしたというか晴々したのを感じました。

 でも後で、飛行機のトイレでその単語が使われているのを見て、「何だ、トイレの使用中に使うぐらいのもんかよ!」と、自分で自分が可笑しかったのを覚えています。

 前置きが長くなりましたが、我が家は4歳と6歳の孫に占領されました。普段はジジババが喧嘩するだけのエネルギーもなく、静かに暮らしているのに、反抗期の真っ最中と名残が残っている男兄弟ですから、家中の会話量も音量も10倍に跳ね上がり、そのけたたましいこと!

 寝_003_4床でゆっくり新聞に目を通すこともできず、邪魔されず用を足すこともできず、見たいTVも見られず、本も読めず、遊びの相手をしなかったら不協和音(不興?)が鳴り響く有様。それでも、兄弟仲が良かったら、叱責の量も随分減るのでしょうが、スンニ派とシーア派のように争いが絶えませんから、調停に苦労します。私の城に侵入して、古いアイマックを相手にしている時だけ、ささやかに和みの時間が流れます。

 どうも、この占領軍は我が家で年を越すらしく、嬉しいやら悲しいやら複雑です。

 

目から鱗が落ちた雑学

 昨日書けなかったのですが、姉の忌明け法要が京大病院の東にある、聖護院で営まれました。後で、住職の案内で聖護院を見学させてもらいましたが、京都育ちでお寺慣れしている私も驚いた寺院です。野菜やお菓子に名前を使われ、そちらで有名な聖護院を見直しました。

 ほとんどの部屋が襖絵(狩野派絵師のオリジナル)。一見しただけではその贅沢さが解らない重文の部屋。涎が出るほど欲しかった釘隠し。話の巧みな住職の解説に何回も「ヘ~」とか「ふ~ん」感嘆の声をあげました。

 住職とは、精進落しの席で隣同士になり、様々な雑学を授けてもらいました。中でも、次の二つは目から鱗が落ちました。

 「仏の顔も三度まで」という諺は、3回までは我慢してやると加害者の立場で使われるが、二面性がある。昔、シャカ族の国に隣国のコーサラ族が攻めこもうとした。国境の木の下に、心配したお釈迦様が座られたので、流石のコーサラ族も兵を引いた。3度までは進入しなかったコーサラ軍だが、4回目にはお釈迦様の姿が無く侵攻してシャカ族は滅ぼされた。これが由来だそうです。だから、3度もお釈迦様に助けてもらったのに備えを怠ったシャカ族を戒める被害者側の使い方がある。

 日本古来の信仰はアニミズムで八百万の神だった、そこへ、仏教が入り神仏習合・神仏混淆が起こり、仏が形を代えて日本の神として現れた姿の権現が信仰を集めた。聖護院が本山の修験道は不動明王や役の行者と共に権現を祀ってある。明治なり政府は神仏分離に政策を変更し、天皇を現人神(アラヒトガミ人の姿になって表れた神)に位置づける。そこで、目の敵にされたのが権現で修験道も暗黒時代が続いた。明治の廃仏毀釈は、政府主導で起こったものが多い。

 世の中知らないこと、知っていても浅かったことが如何に多いか肝に銘じました。

2006年12月24日 (日)

今年も後1週間

 「若者は1日が短く、1年が長い。年寄りは1日が長く、1年が短い」と、聞いたことがあります。確かに、若いうちは無限の可能性を信じて動くうちに1日はまたたく間。老いると限界を知りすぎて無為に過ごす時間の長いこと。老若の時間感覚を巧みに言い当てていると思います。

 私は1日も1年もその短さに呆れてています。定年退職後、悠々自適の生活など経験なく過ごした人生を異常に感じ始めました。人は「幸せではありませんか、することなくて、公園や図書館で昼寝している人が多いのに・・・・それだけ貴方は役に立つのです」などと、本音とも皮肉とも聞こえる言葉で慰めてくれますが、聞くほうはスッキリしません。

 たまには「小人閑居して不善を為す」をもじって「老人閑居して善悪なし(何もする事ない)」を味わってみたいと思っています。その矢先、探していた本「長生きが地球を滅ぼす」を見つけました。冒頭の言葉に、私のモヤモヤの解決が隠れている気がしました。

 「日本は豊かになった。とても便利になった。身の回りに物があふれ、ボタン一つでいろいろなことができる。なのに幸福感がいま一つ、というが実感だろう。便利になればなるほど、ドッグイヤーと言われ、どんどんせわしくなっていく。このとてつもなく早い時間に、私たちは疲_001_1れはてているのではないだろうか。」

 カミサンの知人が、年末に決まって来年の干支の木目込人形を送ってくれます。この手作りの暖かさを味わい、本川教授の「長生き・・」の本を時間をかけて読み、時間感覚を正常に戻して新年を迎えたいと思います。

2006年12月23日 (土)

大人1人小人2人で480円の旅

 昨日から来ている孫のRとYが、「電車に乗りたい、乗ろう乗ろうッゥウウウ」と、何時ものように駄々をこねます。男の子は動く物に乗るのが大好き!は時代をこえて共通しているようですね。私も小学校へ入る前、物心ついてから無職で通していた父親にねだって、当時は大阪そごうにしかなかったエスカレーターに乗せてもらったり、汽車に乗りたいと京都駅から二条駅までSLに乗せてもらった(当時はSLばかり)のを鮮明に覚えています。

 よしよし、私も父親の遺伝子をかなり持っています。気持ちよく承知し連れて行くことにしました。しかし、これにはRとYの父親からノウハウを伝授されています。1区間切符で乗りまくって帰ってくる・・・二人は目的地など無いのですから、乗るだけに専念したらよいという、大人にとってはいやはや無意味な電車の旅です。

 近鉄の1区間切符で乗り込みました。Yは4歳で無料、二人で¥210。大和西大寺で下車し、奈良に向かいました、奈良で改札口から出ないで休憩しました。又、西大寺に引き返し、明日のための食パンを購入、普通電車で出発駅の二つ手前の駅で降りました。

 歩いて100メートルの所にJRの駅があります。RとYはお腹を空かし買ったばかりの食パンを1枚ずつ食べました。そこから自宅近くの駅まで購入した切符が¥270旅費は〆て¥480 3時間半の小旅行ですが、RやYにとっては結構な冒険旅行らしく、感動の声が何回も聞こえました。

 子供の心に戻るのも、大人のストレス解消に大いに役立ちます。

2006年12月22日 (金)

高齢者宅は故障が多い

 昨日は、ブログ投稿の送信に時間がかかり(5分待ってBad Gatowayのメッセージがでる状態)すっかり意気消沈しました。今朝になり、「ダンボ独り言」を開くと、あッ不思議なことに中断した筈の投稿がちゃんと載っていて携帯で送ったのと合わせて4つも重なっていて腹立たしいやら嬉しいやら。

 ところが、エアコンのスイッチを入れても暖かくなりません。室外機を調べたら運転していません。オール電化にしたので、石油ストーブはなし、幸い気温がそれ程低くないので助かりました。

 直ぐ、我が家の耐久消費財的電気製品の大半を買っている、小売店に連絡したら飛んできました。私の主義で量販店より値開きが1万円以下なら、小売店で買うことにしています。

 調べてもらったら、故障したエアコンは購入してから18年経っているようで(小売店がデータを保存している)冷専だけでなく四季を通して動かしているものが、よくぞ働いてくれたと感謝したい気持ちでした。

 小売店は、勿論、新製品のカタログ持参です。結局、お掃除ロボット付き高級品を買わされる羽目になりました。

 我々も、故障だらけの身体で頑張っているのだから、電化製品も見習って欲しいものです。

藁を掴んで

ルータは治りそうに見えず、買い換えようと思ったのですが、eoネットのモデムに直接ランコードをつないで試しました。やはり駄目!あきらめきれず、今度は藁でもつかむ気分でeoのサービスに電話しました。出てきた若い男性に開口一番「年寄りだからゆっくり頼みます」応えてくれましたよ!根気強くゆっくりワンステップずつリードしてくれ、インターネットが開通しました。藁が太いロープでした。しかし、マイブログにログインがやたら時間がかかり、投稿が出来ません。結局、携帯からになって、日付も変わってしまいました。今日の教訓「困った時には藁でも糸でも自分でつかめ、たとえ糠喜びになっても」

2006年12月21日 (木)

藁を掴んで

 ルーターにこだわるのをやめて、モデムから直接ランを繋ぎパソコンの設定を変えて見ることにしました。eoファイバーのサービスに電話したら、出てきたアドバイザーが、懇切丁寧に、高齢者にも分かるようにワンステップずつ教えてくれました。

 インターネットに繋がったけれど、ココログの管理画面にログインするのが滅法時間がかかり、完全とはいえません。明日それを修復して、完全復活を目指します。

藁を掴んだらロープでした

 人の習慣とは恐ろしいものです。数年前までは携帯電話がなくても、何の不自由も感じなかったのに、今は寝る時に枕元に置いておくほどの必需品になってしまいました。電話するにも、メールするにも、スケジュールを調べるにも、予定を知らせるのも、携帯が一手に引き受けています。私の個人情報センターですから、外出に忘れたりしたら一抹の不安感がつきまといます。

 パソコンもそうです。初めはワープロ代わりで年賀状や手紙・報告・エッセー等の作成だけだったのが、インターネットという魔物と付き合い始めると、もう自分の目耳口になり欲しい情報がたちどころに手に入る、メールで意志の疎通ができるという便利さに夢中になり離れられなくなってしまいました。

 追い討ちをかけるブログの開設でした。ルーターの故障で何処にもアクセスできなくなったらインよりアウトできないことに焦って、自分が自分でない様な飢餓に苦しみました。

 ルーターにこだわるのをやめて、今日はモデムから直接ランで繋ぐことにしました。それには、パソコンの設定を変えなくてはならず、藁をも掴む想いでeoファイバーのサービスセンターに電話しました。

 応対してくれた若い男性は、私が開口一番「年寄りですから分かりやすく」と切り出したのを、確り受け止めてくれて、懇切丁寧にワンステップずつ教えてくれました。ネットが開通した時は、すがった藁が太いロープで良かったと飛び上がるのほど嬉しくなりました。

 問題解決への道は一つでないことと、藁でも糸でも自分でつかまるのが大切なのを肝に銘じた一日でした。

2006年12月20日 (水)

収録日

収録日

  私達朗読ボランティアが独居老人向け慰問テープ「せせらぎおしゃべり訪問」を録音する日でした。写真のような熟年女性8人と、それより若干年かさの男性2人が、30分テープを作りました。写真では雰囲気が暗いけど、実情は正反対で、つっこみ・ちゃかし・ボケ・真面目とふざけが半々で、いちゃもんつけたりベタぼめしたり、賑やかなこと、この上なし。結果は30分テープに4時間以上かける念の入れ方になります。

 皆が帰路につく頃は冬の日はとっぷり暮れ、家で待ちわびる人達の協力と忍耐力もボランティアだなーとつくづく思います。しかし、皆、楽しいから続けている訳で、支払うよりお釣りの多い仕事に満足しています。

 又、ルータ−がダウンしました。修復しようと試みるほど重症化するので当分モブログの投稿になります、頂いたコメントに反応もできませんので悪しからず。

2006年12月19日 (火)

奈良はやっぱり古都

奈良はやっぱり古都

奈良はやっぱり古都

ホテルを出ると、荒池の向こうに興福寺の塔が見え、角を切られた鹿らしくない鹿がウロウロし、穴場の名園「吉城園」を無料で見せてもらい、やっぱり奈良は古都でした。

2006年12月18日 (月)

流石!奈良ホテル

流石!奈良ホテル

若干遅れた78歳の誕生祝いに、カミサンが奈良ホテルでの1泊を予約してくれました。旧館は明治42年創業の老舗?4メートルを超える天井の高さは、そこらのシティーホテルでは味わえない雰囲気があります。ディナーはどの皿もあっさりした味付けで、ソースもバケットにつけてすっかりいただけました。
TPOを考え、普段はUブランドで固めている衣装を脱ぎ捨て、一番いいスーツにロエベのベルトを締め、エベルの時計をはめ、マドラスの靴を履いてきました。正に「馬子にも衣装」で、気持ちも一緒に変身します。
明日から当分茶漬けで辛抱しよう。

2006年12月17日 (日)

復旧してホッ

 突然、ルーターがおかしくなりました。何時もならリセットしたら復旧するのに、何回試してもランプが緑になりません。仕方なく、本日の投稿を携帯からしました。キーボードからの入力でなく、携帯のボタンは若い人のように自在に押せません。長文を入れたつもりでも何時もの半分、時間は3倍。ヤレヤレ

 投稿した画面も一目で見られないまどろこしさは例えようもありません。一息ついてルーターを見たら、様子が変わっているのでリセットしたら復旧しました。

 ふ~~~っと肩の力が抜けました。その機能をホームカラオケの700分の3どころか、10万分の1も使っていない、無くても命にかかわりの無いパソコンですが、既に中毒にかかっていると、故障したら、うろたえます。

700分の3のカラオケ

  私はカラオケ恐怖症です。変声期がなかったような高い声は、電話販売を撃退するのにカミサンに化けられて便利。でも、劣等感を持ち続け、自己陶酔でしかないカラオケでも、人前で歌うなんてとんでもないこと。加えて、歌で小遣い稼ぎのできる娘と、合唱団にいたカミサンの苦笑いにあうと鼻歌も止まってしまいます。

 しかし、閉塞性呼吸器障害と診断されたり、老人会の役員になると断っても断ってもカラオケリクエストカードが回って来て、ムクムクといつもの「やってやろうじゃないか」が首をもたげ、ホームカラオケを買ってしまいました。 買ったカラオケに内蔵されている曲は700曲。そのうち童謡を除いて、それらしく歌えるのは三曲!何と効率の悪い投資で、孫や娘のオモチャになっている時間が長い状態です。

  只今、パソコン故障中でメールもブログも携帯頼みです。

2006年12月16日 (土)

政治基本法も一緒に

 改正教育基本法成立・・・愛国心が盛り込まれメデタシ・メデタシ。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する・・・」ちょっと待って。

 これ等の文言を聞くと、目に浮かぶ各国の建物があります。エジンバラで個人住宅でもリフォームする時は、外観を変えない市条例があり、街は何百年も変わらない。ミュンヘンの聖ペーター教会やフラウエン教会は空爆で瓦礫になった建物の欠片を集めて昔と変わらぬ姿に修復した。パリのシャンゼリゼは建物の高さや広告を規制して景観を保っている。私権意識の強いフランス人が文句言わず従っているのが不思議でした。まだまだ、きりの無いほどヨーロッパの国々が自国の文化を大切にし誇りをもっている証拠を見てきました。

 かたや日本は、建材の違いがあるにせよ惜しげもなく古い建造物を壊して儲かる建物に代えていませんか?効率・利便性・経済性・土建会社の建替え需要・アメリカ型消費社会への追従・理由は問いませんが、勿体ない惜しいという気持ちに政治家の皆さんは思わないのでしょうね。製薬会社に気兼ねして新薬承認を早めたり遅らせたりするのと同じ発想なのでしょうね?

 愛政府心でなく、愛国心なら結構!だから、衣食住すべてに伝統の日本文化を尊重する政策を明示して欲しいです。私も海外旅行で愛国者に何回もなりましたから。

 ついでに、仮称「政治基本法」も作ってください。

 「政治家たるもの、アメリカを愛し、所属政党を愛し、票をくれる選挙民を愛し、多くの政治献金をする業界を愛し、意のままに動く官僚を愛し、提灯持ちするマスコミを愛し、権益に群がる民を愛する前に、何よりも優先して、国民が愛するに足る国づくりに邁進する」と

2006年12月15日 (金)

自動忘却装置

 タイトルは米原万里の本から使わせてもらいました。「・・・どんな過酷であろうと、被害体験は、時を経るほど甘美な思い出となり得るが、加害体験は、忘却の闇に葬り去られべき汚物と化す。私も身に覚えがあるが、脳には自分に都合の悪いもの、不快なものは記憶しないどころか、無いも同然となってしまう「自動忘却装置」が備わっている。一種の自己肯定欲というか自己保存本能みたいなものなのか。・・・・」『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて・・元兵士102人の証言』の書評に添えた言葉です。

 この言葉にこだわったのは、昨日の忘年会で一人3分ずつ、少年から青年時代の思い出を語ったのがきっかけです。二人の仲間が、親と伯父が特高警察官だったと告白しました。また、俺は卑怯者だった命が惜しくて兵役逃れに奔走したと語った仲間もいました。若い人には理解できないでしょうが、昔の特高警察といえば、民衆から最も恐れられた存在で、戦中も戦後も民衆に蛇蝎の如く嫌われたものです。特高警察の親の厳しすぎる躾の反動がアウトロー的自分をつくった、しかし、身だしなみに気をつける習慣も染み付いた。特高の伯父と共にいれば乗り物も映画館も皆只になる経験をした一人は権力を笠に着る不快感を心に止めた。

 15年以上、延べ60回を越すこの仲間との集いで、初めて聞いたことばかりでした、自動忘却装置のスイッチを切り、自分の生きてきた証しを負の部分も知って欲しかったのでしょうか。

 いじめも同じでしょう。いじめ被害者は、消えないとらうまになって残るでしょうが、いじめた加害者は忘れてしまうのでしょうね。でも、きっかけさえあれば、余生が短くなれば、苦い過去の記憶も蘇るものと思います。

2006年12月14日 (木)

京都駅から

 現職時代の仲間と忘年会でした。定年退職から18年間続けて、年3回以上集まって旧交を温めています。と言ったら集まりの雰囲気が想像できるでしょう。皆、傘寿目前、足腰不自由、遠い思い出は出てきても朝食のおかずが思い出せない、集合時間が守れるかハラハラ、帰りは無事に家にたどり着けるか?と、皆がお互いを心配し合う仲間です。しかし、アルコールが入ると意気軒昂、談論風発、昔話に世情批判と、話の切れ目がありません。

 共通しているのは「我々はいい時代に生まれた!」と言う結論です。根拠は「飢えの時代と飽食の時代に生きてきた。自然も人情も一杯あった時代を知っている。戦争と言う死と隣り合わせの緊張感も味わえた、と言うことは生きる大切さを実感している・・・」

 宴会は京都駅の構内にある料理屋でした、駅を降りた時目に入ったのが大きなクリスマスツリーでした。携帯で撮影し、昨日パソコンに設定したモブログ(モバイルとブログの合成語)機能を試しました。

 カミサンが昨日の誕生日に何もしなかったのを気にして、来週に奈良ホテルのディナーと宿泊を予約しました。毎日投稿しているブログに穴を空けては大変と、携帯からもブログに投稿できるようにしたわけで、成功したようです。

 

モブログに挑戦

モブログに挑戦

京都駅構内にもクリスマスツリーがありました。

2006年12月13日 (水)

ひがみととっても結構

 某カード会社から送られてくる雑誌を広げました。「クリスマスに愛をこめて」とのタイトルに惹かれました。プレゼントする相手は無くても、どんな品があるのだろう?

 エッ 紳士靴 147,000円?!? 私の靴が20足買えるじゃないか。 カシミヤニットジャケット 312,900円?!? 私の持っている最高のスーツだってこんな値段はしないよ。 知らないブランドなのでインターネットで見ました。靴はジョンロブ。 ジャケットはブルネロクチネリ。何とここのカシミヤの縄跳びは23,800円します。

 私だって娘がプレゼントしてくれる、頭にUのつくブランドで上下・下着まで固めています。カシミヤのセーターも貰いましたが、娘は多分ブルネロの20分の1以下の出費で親を喜ばせ感謝で目頭を熱くさせてくれたのでしょう。

 需要があるから供給があり宣伝している、これらの物を買える人達は、スーパーのチラシを見て「サラダオイルが198円で売ってるぞ~」と大声を上げることはないでしょう。我々の10万円を1000円位にしか感じなかったら、「いいものはやっぱね~~~」と、これ等を手にし、ニコニコしながらカードをきらないでしょう。

 景気が良くなったから?団塊の世代が退職金を手にして使い道に迷っているから?でも、ワーキングプアが増加し、高齢者の年金は低減し、税負担・医療費負担は急増。価格破壊で倒産寸前の企業は後を絶たず、という報道にそぐわないものを感じます。

 消費税率のアップは迫っています。確かに、イギリスの17.5% フランスの19.6% イタリアの20% ドイツの17% デンマークの25%に比べらたら5%は格段に低いです。但し、デンマークを除き、どこも食品はイギリスの0%~イタリアの10%と庶民の暮らしを直撃しないような政策をとっています。

 高価なブランド品を手にしたい人は、それ相当の税負担をし、必要の無い人は税を低率にし安定した暮らしが出来る日本にはならないのでしょうか。

               

2006年12月12日 (火)

記憶の偏り

 _003_2 写真は昨日の日記に添付するつもりでした。ファイルが行方不明で諦めたものです。つくづく眺めながら、30年前は、ここ一面が覆いかぶさるような雑木山だったのを思い出しました。でも、その時の風景は、どんなに記憶の糸を手繰っても出てきません。開発された後の土地で昔を思い出すのは、どなたでも困難ではありませんか?

 対照的に、60年前をありありと覚えていて再現することの出来るのもあります。映画のシーンなどはその最たるものです。例えば「望郷」 ジャンギャバン扮するギャングのぺぺがメトロの香りのする女性に惹かれ、安全なカスバから出て石段を駆け降りる場面。「男と女」で海岸を散歩する老人の周りを愛犬が飛び回って喜びを現している画面、「ラプソディ イン ブルー」のピアノの鍵盤のアップからハリウッド全体の俯瞰にズームするラストシーン・・・枚挙にいとまがありません、不思議です。

 先日、テレビで「Always 三丁目の夕日」を見ました。昭和30年代の人情味溢れる東京下町を描いた佳作で、涙もこぼしました。感激しながら不思議に思ったのが、東京タワーが完成した頃のインフラや庶民の生活水準が現在とかけ離れて低い有様でした。珍しく白黒テレビを買った家に、隣近所が集まって熱狂しながら鑑賞した時代と巨大建造物が聳え立った現実が噛みあいません。世の中とはそんなものなのでしょうね、モニュメントは人々の暮らしとは関係なしに先行して出来ていく。

 個々の記憶の偏りには、こんなことも関係しているのかも知れません。

おまけ 東京タワーより110メートル高い、エンパイヤ ステート ビルは1930年即ち私が2才の時に建てられ、びわ湖の1.5倍の貯水量のあるフーバーダムは1936年即ち私が小学校4年生の時に建造されました。その頃のアメリカ市民の生活水準はどうだったか興味があります。

2006年12月11日 (月)

メール後晴れ

 昨日の事です。パソコンを立ち上げると始めてのアドレスからメールが来ていました。件名には「A小旧6年1組塩パン組Iです」とあり、瞬時に幼い頃の彼を思い出しました。メールの中に、皆と取り組んだ日の出の観測、おならの王様、戦争と生活を思い出し、心の支えにしてきた。と、ありました。

  夜明け前に集まって、日の出の方位を観測しました。私の宿直の周期を会わせ1ヶ月毎1年間続けました。よく親や校長が許可したと今でも不思議です。(校長には無断?)

 5年生の時、学習発表会の演目を皆で相談しました。オッチョコチョイで冗談好きのI君が「おならの王様にしよう」と、受け狙いで口走りました。「よし、それにしよう、明日までに筋を考えて来い!」私の顔が恐かったので、慌てて皆が脚本作成委員を選びました。翌日、委員の持ってきたあらすじを見て私は感激しました。名君だけどオナラを多発する王様がいた。オナラのお陰で国交断絶、国中公害で大変、大換気扇で国外に吹き飛ばし解決したが隣国からクレームがつき、戦争になりかける、切羽詰った会議の席で王様のしたオナラがろうそくの炎を大きくする。オナラが燃えるのを知った国民は、王様から集めたオナラで「おおさまガス」会社を設立、めでたしめでたし。感激した私は一晩で脚本に仕上げました。紙芝居にして上演した「おならの王様」は、会場を爆笑させました。

 6年の学習発表会の劇は私が決めると宣言しました。5年の時に授業が遅れた苦い思いがあったからです。でも、皆は許してくれません。社会で習っている戦争が人々の暮らしにどんな影を落とすか、調査して劇にしたいと言い出したのです。戦争体験が生々しい保護者にインタビューして、召集、配給、強制疎開、学童疎開、竹槍訓練、の場面を作り締め括りは全員が原爆で死んだ人を悼む場面にしました。嘘でなく、私は教科の授業を1週間出来ませんでした。発表会当日、思い出して涙する保護者で会場が埋まりました。

 今の教育界では、到底許されない教育方法だったと思います。そして、その結果が卒業し成人して、所謂、勝ち組になれなかったかも知れません。でも、一人でも、当時を支えに頑張れるとメールをくれて、私の気持ちは晴れになりました。

 翌朝の空は、快晴でした、淡いけど月も見えました。

 

 

 

2006年12月10日 (日)

師走の頭痛

 気が重い。師走となると普段は杖をついて何処へ行くにも車で送り迎えをしているカミサンが、やけに張り切って掃除を始めます。とに角マイペースですから、こちらの思惑も予定も関係ありません。

 そもそもカミサンの膝は90度までしか曲がりませんし、体脂肪も内臓脂肪もレッドゾーンにある重い身体を支えるには筋力不足で、何かにつけてサポートが必要です。しかし、不思議なことに、スーパーでお買い得を探す時や、旅に出て、旅費を使っているから見物しなければ勿体ないとなったら、能力を超える歩行をします。この夏の終わりも、孫達と行った立山では、ミクリガ池を一周しました。

 私の場合、家事で負担に感じる順位は1番に掃除。しなくても死なないし、限度を越えた時に天の声が聞こえてきて徹底的にしてしまいます。洗濯なんて機械任せだから平気、炊事は生きるのに不可欠な労働で、クリエイティブな要素があるから、負担に感じません。

 嫌いな掃除を強制される師走は暦から消したいくらいですが、自分の身体能力を考えず掃除しようとするカミサンに面従腹背というわけにはいきません。ダスキンモップで埃を払い、ガラスも拭いたし、戸棚・引き出し・冷蔵庫の内外を整理しながら掃除しました。

 まあ、運動不足の毎日ですから、ポジティブに、行ったことの無いジムで、筋トレしてると想像しましょう。

2006年12月 9日 (土)

読書救世主現る

 本が読めません。本川教授の論説に惚れ込んで買った「ゾウの時間ネズミの時間」も、寝床で3ページで意識不明、ブログのせいもあるけれど、活字が新聞だけになるのも悲しいと、思い始めた矢先。救世主が現れました。

 医院の待合室にあった週刊文春に「打ちのめされるようなすごい本 米原万里」が載っていました。早速、図書館へ行って借りました。この本の解説が井上ひさし。二人とも講演やパネルディスカッションでお目にかかった作家で大好きですから、買った本は脇に置いて飛びつきました。

 要するに、この本は米原万里が膨大な書籍を読んだ(1日に7冊読んだという噂あり)書評集です。井上ひさしの解説に『書評は著者と読者に試されている、褒めれば甘いと叱られ、辛口にすれば一生恨まれ、ほどほどでは役立たずと軽んじられる、おまけに手間暇かかって稿料安く、大きく扱われることもない、割の合わない仕事の筆頭株である。米原万里はこれに正面から嬉しそうに体当たりした。書評家としての全作品を集めた本である。でもこれは、評者と書物とが切り結び、激しくぶつかって、それまで存在しなかった新しい知見が生まれた素晴らしい書評である。(ダンボ要約)』とあります。

 一節を紹介します。「同時多発テロ以来、小泉の目つきが完全にイッちやってる。ブレアも同じく(中略)日本はあくまでもアメリカの属領なのだから、属領の知恵「面従腹背」を貫くべしと思うのだが(実際、大多数の国々は世界最強国に表立っては同調しつつ賢明に実行は避けている)小泉は本気だ。危なっかしいたらない。(後略)」

 兎に角、どのページを開いて読み始めてもよい。クスクス・ゲラゲラ・呵呵大笑し知的好奇心を満足させ、読んだ気にさせる凄い本です。

2006年12月 8日 (金)

鳥の目と虫の目

 興味をもって広げた朝刊には、太平洋戦争を始めた日の記事は、小さくコラムにあっただけで、完全に新聞ネタではありませんでした。考えてみると、満州事変から始めた日本の戦争は、15年間も延々と続けたわけで、12月8日米英蘭に宣戦布告したのは、その3段階目に過ぎなかったからでしょう。しかし、そのために、日本人だけで250万人を超す人命が失われ、全国の大都市が焦土になりました。他国民も含めると数千万人が非業の死を遂げたのです。

 民生委員をしていた時、困っている方を援助したくても、該当するサービスがない。折りしも、老人会に活動助成金を配分していたので、福祉部長に「税金を、元気な老人会に使わず、目の前の弱っている人に使ってほしい」と文句を言いました。部長は「老人会の活動を活発にしてもらったら、お年寄りが寝たきりになるタイミングを遅らせることができます。どれだけ医療費の節約になるか!そう考えると安いものです。」と、悠然と答えました。私は、なる程、部長ともなれば大所高所から物事をみる鳥の目を備えていると感心したものです。でも、何かスッキリしないものを抱えたままでした、私には目の前の困窮している人を救いたい虫の目しかもてなかったからです。

 原子爆弾を投下し何十万と云う人を殺傷したことについて、アメリカは、原爆投下によって戦争終結を早め、アメリカも日本も計り知れない人的損失を避けることができた。戦争だから仕方が無いと正当を主張します。正しいとは思います。狂人に等しい日本軍人の一部は1億玉砕と叫んで全国民が滅亡しても決戦を望んでいたのですから。

 でも、でも、原爆で身体を粉々にされ、熱線で溶かされ、放射線で毛が抜け血反吐を吐いて死んでいった人達を、「仕方がないんだ皆さんは・・」と、空から鳥になって歌うことができません。死ぬまで、折にふれその人達と、戦争を恨み、起こした者達を憎み続けていく地虫の目をもち続けるでしょう。

 

2006年12月 7日 (木)

明日は何の日

 昭和一桁の方なら、パット答えが出てくるかもしれません。でも、この記事を読んでくださる殆どは、首を傾げるでしょう。

 1941年12月8日は日本が太平洋戦争に突入し、真珠湾やマレー半島へ奇襲攻撃をかけた日です。

 私には声と情景で、まだ鮮明に残っている日の記憶です。声は死んだおやじの声、慌てることのなかったおやじが、この日の朝に限って「えらいこといなった!」と叫びました。国粋主義者で世界を知らない輩はともかく、まともで常識ある人間だったおやじは、日本がとんでもない賭けに出たことに動転したからでしょう。

 情景は、当時中学1年生だった私が、朝礼で誰かの訓話を聞きながら見た抜けるような青空です。頬が切れるような寒さでした、広い運動場に整列した生徒全員が、ただならぬ気配を感じて静まり返っていたのも覚えています。

 それから2年4ヵ月後、軍国少年に洗脳されていた私は、その行為がどんなに親不孝かということも分からず、一人で区役所へ行き、甲種飛行予科練習生の志願書を出して入隊しました、16歳の春でした。Photo_7

 日本は、4年しかもちませんでした、1945年敗戦を迎えます。当時私は山口県の海軍潜水学校にいました。65年前の今日、真珠湾に潜入して攻撃をかけようとしていた特殊潜航艇「甲標的」の改良型「蚊竜」の乗員訓練生した。まだまだ、出撃するには時間がかかる特攻要員でしたが、1年以内には100%命のなかった私です。

 おつりで60年以上生きられた私、この上ない幸運に恵まれた人生です。そして、平和の有難さを噛みしめる今日明日を迎えます。

2006年12月 6日 (水)

命にかかわること以外

 6年生を担任していた時 「命にかかわること以外はたいした事はないんや」は、クラスが揉めたり、ユニークで孤立しそうな子をかばう時に私がよく口にした言葉です。

 暫くしたら、文句を言いに来たお母さんがありました。「センセ困ります、家の子テストが悪かっても、忘れ物しても、寝坊しても、『命にかかわること以外かまへんと先生いわはった』叱っても効き目ありません」 「ははぁ~ 上手いこと私の言葉使いますな~賢い子や」笑って収まりました、昔の保護者はおおらかでした。

 なんで、今頃そんな事を思い出したかというと、今朝、夕べ散々遊んだ孫二人が、登園登校を拒否したのです。4歳のユウキをなだめすかしギリギリで連れて行ったのですが、まるで屠所に引かれる羊そのもの、道々切実な顔で「何で幼稚園に行かんならんの?」と聞かれても曖昧な返事しかできません。とたんに「命にかかわらないから休ませようか}との思いが頭を過ぎった次第です。

 母親がこんな話をしていました。4歳のユウキがしたり顔に言った、「お金より命の方が大事やなー」を、傍で聞いていた6歳のリョウタが、クールに「でも、お金が無かったら、命が長持ちせえへん」と、つぶやいたそうです。

 金は命にかかわるんだ?!?! 人間を変えるのは政治ではなく経済ですか?(滋賀から発信)

2006年12月 5日 (火)

平和ボケ

 電話1本で、滋賀県の娘の家にすっ飛んで来ました。「ジッチャン来て!」の威力は絶大です。6歳と4歳の孫だけで留守番はできません。建築関係の父親は年末で忙しく、娘も「手話教室」とやらで9時過ぎまで出かけるとか・・・・孫の希望か?親の陰謀か?兎に角こちらも孫禁断症状が現れていましたので抑制がききません。

 高速料金¥1350を払い1時間足らずで到着です。思えばこの道を何回往復したことでしょう。車にETCまでつけて通っているいじらしい気持ちを孫達はどの程度記憶に残すかな、詮無きことを思い巡らすのは老化現象でしょうね~

 孫達が、バッチャンとレゴで遊んでいる内に、ブログへの原稿を書いています。これから親の帰りが遅いので、どんな無理難題が起きるかわかりませんが。平和な空気が漂っています。

 世界はといえば、アメリカの足元の南米は、反米政権が殆どというありさま。イラクは完全な内戦状態。アフリカ諸国は部族対立で不穏な国ばかり。イスラエルは周辺と和合せず八つ当たり。頬笑みの国といわれるタイも政情不安。北朝鮮となったらもう50年ほど時計の針を逆回しした世界。ロシアはミステリアスの固まり。

 孫達と遊んで鼻の下伸ばしている時ではないのかも知れませんが。今夜は思い切り平和ボケします。ボケついでに、ご存じない方のために小咄を一つ

 アメリカの憲法とロシアの憲法の共通点と相違点を述べよ。正解は、アメリカの憲法もロシアの憲法も、表現の自由を認めている。しかし、アメリカの憲法は、表現した後も自由を認めているがロシアは認めていない。 何か、小咄とは思えませんね。

 

2006年12月 4日 (月)

鬼は内&福も・・・

 話は古くなりますが、!10月25日、掛り付けの医院で血圧を測るのに左腕を出した途端。「これどうしたんですか?」という先生の驚きの声。「ヘッ」と肘を見たら大きな瘤が肘関節から垂れ下がっていました。痛くも痒くも無いので、身体の一部がこんなに変形しているのに気付かなかったのですが、これも老化現象かとちょっとブルーになりました。

 医師の勧めで膝の痛み頚骨の補正に通っている整形外科にいきました。「ああ、これ」と、いと簡単に太い注射針を差し込んでピンクの液体を抜いてくれました、「見ただけで悪性のものでは、ありませんね。また貯まってきますが、このままにしておきなさい」で、おわりです。病名は「○×?!△□・・・」と教えてもらったのですが、覚えられません。

 それから40日、少しずつ膨らんできたのが写真です。痛みなし、重さは感じない、でも、四六時中エルボーパットをはめているようで気色が悪い。私の前世は畳屋さんだったか!といっても、若い人には理解できないでしょうが、昔の畳屋さんは太い糸と針で肘をてこの支点にして畳の床に畳表を縫いつけていました。だから、肘が発達してPhoto_2 草履の裏みたいに丈夫でした。

 原因は肘を絶えず擦ったりしたら起こることがあるとか、パソコンに責任の一端がありそう~。このままで、半袖の時期になって、自分が意識するほど他人は無関心だけど、目敏く見付けた人に一々説明するのも面倒だ。

 節分には早いけど、「こぶとりに登場した鬼だけは~内」

2006年12月 3日 (日)

特集 1ヶ月決算

 すっかりブログおたくになって1ヶ月たちました。滅法PCとにらみっこしている時間が多くなった私に構わず、ブログウイドーのカミサン居眠りしたりクイズをしたり・・我が家は平和です、枯れることの大切さを味わっている昨今です。

 さて、マイブログの現状を一ヶ月集計でご覧あれ。

○アクセス総数 1,500回(日平均50回)    ○訪問者数 331人(日平均11人)

○最高アクセス日 11月26日(日)143回    ○最低日 11月23日(木)10回

※日土休日にアクセスが多く月曜が少ない傾向。アクセスの時間帯は4時を除いて最低1回以上あり、特に21時にピークとなる、0時や3時も多く夜型社会が証明される。

○リピート率 20.9%(5人に1人が再訪してもらって感謝!)

○訪問周期 毎日4人 2日7人 (ファンが10人超・・・・ヤッタ~)

○人気ページ トップページを除き「糞害で憤慨」「気功体操」(タイトルが大切?)

○アクセス地域 20都道府県から。京都47% 大阪25%が抜きん出ているのは当然。東京4%  群馬・長野・滋賀 各3% (遠い北海道や、福岡からのアクセスもあり、何かドキドキします)

サーバーの出してくれる集計はまだまだありますが、これくらいで・・お粗末でした。

※驚きはブログ運営者のホストコンピュータの威力だけではありません。Googleに冗談で「ダンボ独り言」と入力したら、トップに出てきました。(変動します)

かぐや姫

 朗読ボランティア仲間が参加している児童青少年演劇まつりがあり、孫が来なかったのでカミサンと二人で鑑賞してきました。V仲間の人形劇団の名前は「ぷくぷく」演目は「紙人形劇と語りで綴る竹取物語」児童向けですが原作の筋を大幅にカットすることなく演じられていました。かぐや姫が五人の求婚者に注文した難問の結末をどのように表現するか?かぐや姫が天に登る場面はどうするか?    私が鑑賞のポイントにしていた部分も、フンフン、な~ぁる程、そ~やったか!と感心しているうちに通過しました。アマチュア恐るべし!(自分もアマチュアなのに・・)普通の主婦がVもして演劇もするのですから、家族の協力は不可欠でしょう。アッシーもメッシーもダスキン君も厭わない私のような旦那の存在が見え隠れしました。そして、彼女等も、かぐや姫程ではないけど、輝いていました。

 かぐや姫といえば、私がネタを暖め続けてきたけど日の目をみなかった「現代版かぐや姫」がありあます。

 3000年後、天帝は又かぐや姫二世を地上に留学させる。開発され竹林が無くなっていたので使者は、仕方なく宅地造成地にかぐや姫を置いておく。姫を見つけたのが、警備保障会社に雇われている貧しいお爺さん。ポケットに入れて家に帰ると、爺さん以上気の優しい婆さん大いに喜んだ。きっと、高齢者世帯で淋しかったのだろう。

 ところが大変だ!養女にするにも老夫婦に収入などの資格がない、姫の籍もない、ないないづくしだけど、姫にメロメロになったジジババはあらゆる困難を乗り越える。

 姫が成長すると、かぐや1世を凌ぐ絶世の美女になり、たちまちジャニーズ先頭に全国の芸能事務所が契約に押しかける。事務所にピンはねされたら勿体ないと、若返ったジジババがマネージメントしたら、姫の売れること売れること・・・爺さん婆さん見かけによらず商才があった。

 しかし、2年3年と経つうちに、ジジババに姫への愛が蘇った、姫の暮らしは酷すぎる。舞台に映画にテレビに歌にとスケジュールは隙間なく埋まって、姫は1日も休めない。睡眠時間は無いに等しく、フォーカスされるパパラッチに追っかけまわされる。それに加えて六本木ヒルズ族とか、知事の息子とか、大泉チルドレンとか、求婚者が煩い。幸い、インサイダー取引や談合疑惑や復党議員のお陰で、求婚者が皆尻尾を巻いて逃げたからよかったが、姫を地上に置く哀れさに耐えられなくなった。

 幸い、姫のギャラが2兆円ほど貯まっていたので、留学期間はまだあったけど、爺さん婆さんNASAにお金を積んで月まで姫を届けてもらった。後、どうなるかは分からんが「可愛い子には旅をさせろ」  メデタシ・メデタシ

 (この話のヒントは25年ほど前に6年生の子から貰ったものです)

 ぷくぷくの劇の後は、全国に名の通った人形劇団の公演でした。入場料¥1000。芸術文化振興基金の助成金が助けになったでしょうが、自腹を切ってでも行動する皆さんの情熱に頭が下がりました。

 

2006年12月 2日 (土)

連ドラ終盤

 師走に入り、TV各局の連ドラが終盤に入っています。今回のクールで(何で連続ドラマの一区切りをクールというのか調べたらフランス語でした)私が、放映される曜日を心待ちしたドラマは「家族~妻の不在・夫の存在」と「僕の歩く道」でした。

 NHKの大河ドラマも司馬遼太郎原作・ベテラン大石静の脚本ですから、1年通してみました。千代の良妻ぶりに涎をたらしながら・・・・・・

 「家族」の脚本は(作家を忘れました)オリジナルだと思います。リストラ担当の仕事しかない男が、妻の家出で急に育児最優先のマイホームパパになるとか。家出した妻も直ぐに設計事務所でバリバリ仕事を始めるとか、首を傾げることばかりですが、有り得ないストーリーを脚色でリアルにする力があり、主役の竹之内豊の演技も説得力があります(前回のドラマがあまり酷かったので好意的にみたかも)。渡哲也も上手いのか下手なのか分からないけど、確かな存在感でドラマを引き締めています。残念なのは夫婦がどういう結末を迎えるのか興味津々だったのに、最終回の一つ前で底が割れてしまったこと、happyでもsadでもないendが用意できたら、このドラマは「魂萌え」に次ぐ佳作にします。

 「僕のあるく道」は、ドラマと云うよりドギュメンタリーを見る目になってしまいます。かつて、担任はしていませんが自閉症児と関わったことがあったので、このドラマを見ておけば、もっと良いサポートができたのにと後悔させられます。草彅剛の演技は一瞬だけ健常者になることはあっても、ほぼ完璧ではないでしょうか?

 連ドラに興味ない人には退屈な日記でした。世の中平和だな~~~

 

2006年12月 1日 (金)

バーチャルなブログなのに!?

 ブログのベテランなら何も驚くことは無いと思うのですが、ブログを開設して約1ヶ月、毎日が驚きの連続です。

 ブログはバーチャルイメージの世界だと気楽に開設したのですが、想像力豊富で緻密な分析のできる人なら、リアルイメージに変えてしまうが簡単な世界かもしれません。

 ブログ運営者は、サーバーから2ギガバイトの容量を私に無料で貸してくれますが、私のサイトにコマーシャル付(無料フリータイプは外せない)だから驚きません。ビックリするのは「ダンボ独り言」へのアクセス情報を瞬時に見せてくれるのです。アクセス情報は今日昨日(時間単位で)だけでなく、1週間1ヶ月も棒グラフで表示されるし、どの曜日、どの記事に人気があったとか、リピート率はどれくらいとか。アクセス地域は何処から(私の場合、京都が60%静岡・香川がそれぞれ20%)等々、詳細なデータが手に入るのです。

 バーチャルな世界で遊んでいる内に、地図検索ソフトで覗き見しているような想像も働きます。まあ、私は握られて危うくなる地位も名誉も無い身分!気軽に投稿を続けまが、ニックネームで仮面を被っておきましよう。(bonのコメント修正しました、これもコントロールできます)

 TV番組のプロデューウサーが視聴率アップに命をかける気持ち・・・わかる!

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